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宮澤崇史「自由を手に入れること ー 我が道を振り返る・その3」

Posted on: 2018.12.20
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高校生活は、とにかく自転車三昧の日々でした。高校時代の思い出は、いくつか強烈に覚えていることがあります。

叔父さんに初めて買ってもらった自転車はパナソニックのクロモリ。15万円くらいのロードレーサーでした。

僕が育った長野市は、山々に囲まれた盆地。夏は平日60kmほど、休日は100km近くを走っていました。

TTTやチームパシュートのような人数が足りない競技もあるので、レースに間に合わせるためになんとか部員を4名まで増やして形にした即席チームは、チームタイムトライアルで見事バラバラに。

それでもレースに出られることが何より楽しかった。勝ちへのこだわりよりも、自転車に乗れる幸せで溢れ返った時期でした。

ある日、部の顧問の先生が心拍計を買ってきてくれました。

これは本当にラッキーで、トライアスロンをやっていた先生が顧問でなかったら、こんなにいち早く効率を考えたトレーニングは始められなかったでしょう。

当時発売されたばかりで雑誌でも取り上げられていた心拍計は、トレーニングの質を一気に上げてくれ、LT前後でのトレーニングが増えていくことで急激に強くなっていきました。

そんなある日、乗鞍で開催されるヒルクライムレースの情報を入手。そのヒルクライムの初レースで、まさか優勝することになるとは。

前の晩は母と車の中に泊まって、ジュニアカテゴリーに出場しました。

先頭集団は6名ほど。何人もの選手を抜きながらゴールを目指し、山頂が近づく頃には2名に絞られて残り2kmほどはひとり旅に。

すでに誰かが前に行ってしまっていた可能性もあったので、ゴールした時には順位よりとにかく最後まで必死に上りきった!という達成感以外はありませんでした。

下山途中、後ろの選手と話をしたら「多分僕らが第一集団だったと思う」の言葉に初めて「優勝」の文字が頭に閃き、人生の中で今まで経験したことのないワクワク感を味わいました。

学校という小さな枠ではなく、全国から集まるこの大会でもしかしたら?という経験したことのない高揚感。

結果は1時間11分で優勝。

この時初めて、自分はクライマーなんだ!!と勘違いをするのでした。

トラック競技はあまり得意ではなかったことと、バンクまで80kmもあるのでなかなか練習にいけないことから、あまり積極的にトレーニングに取り入れていませんでした。

しかし、将来のことを考え始めた時、高校を卒業した先で自転車に乗り続けるには当時実業団チームに入るしか選択肢はありませんでした。

実業団の採用基準は、「大学卒業」。

自転車を続けるには高校生の間に良い成績を残して大学に進学する、という道しか当時は思いつかず、必死で勝つことを意識してトレーニングに打ち込みます。

しかし結果は振るわず、全国大会でも30位くらいが精一杯でした。

諦めかけていたそんな時、高校一年の時から続けていたシクロクロスの世界選手権を走ることになります。

当時シクロクロスに積極的に参加していた東京のクラブチーム「ラバネロ」の高村さんが、卒業後にチームで走らせてくれるというチャンスを与えてくれます。

世界選手権前といったら普通はトレーニングに明け暮れるようなイメージですが、僕は違いました。

勉強に明け暮れる毎日。。。。。

え?なんで?

えっと。。。全く勉強しなかったので成績が良くなくて赤点ばかりで、世界選手権が最後の試験と重なって受けられないという状態。それでも、なんとか毎日1時間くらいの練習時間を作って世界選手権へと旅立ちました。

世界に飛び出すこと。

これが自分の道を切り拓く唯一の手段だと、その時の僕はすでに確信していました。

何故なら、世界基準のレースを見て自転車に憧れたのならば、世界基準のレースを走るのは当然であり、実際に自分が今どういう順位にいるかを世界基準で知ることができるからです。

そんなレースは、日本には一つもありませんでした。

続く

AUTHOR PROFILE

宮澤 崇史 みやざわ たかし/1978年生まれ。イタリア在住自転車プロロードレーサー。高校生でシクロクロス世界選手権に出場、卒業後イタリアのチームに所属。しかし2001年、母に肝臓の一部を生体移植で提供し手術のハンディもあり戦力外通告を受ける。再びアマチュア選手としてフランスで活動し実績を重ね 2007年アジアチャンピオン、2008年北京オリンピック出場、2010年全日本チャンピオンになる。2012・2013年はカテゴリの最も高いUCIプロチームに所属。2014年のジャパンカップで現役を引退。 筆者の公式ブログはこちら

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