佐藤一朗「トレーニングの選択 後編」

Posted on: 2015.10.07

前回に引き続きトレーニングの選択についてお話ししたいと思います。

僕が選手の強化を考えた時、コーチとして最も大切な事は選手の競技力を把握することだと考えています。指導にあたる選手がどれだけの力を持っているのか、ダッシュ力・トップスピード・持久力などフィジカル的な要素を正確に把握して、その基本的な競技力を高める為のトレーニングプログラムを組んで行きます。

今でこそ高画質の画像データを使って強化すべき部位個々まで見ていますが、以前はタイム測定によるデータを基に強化ポイントを分析していました。今回は誰にでも出来る簡単な分析方法の1つとして、1000mタイムトライアルのタイムデータから見る選手の強化ポイントの見つけ方についてお話ししたいと思います。


画像は今年の全日本選手権1000mタイムトライアルに出場した鹿屋体育大学の野上竜太選手(上)と堀航輝選手(下)。まだスタビリティー系の強化に不足はありますが、大学生ながら両選手共に表彰台に上がることが出来ました。

みなさんもご存じだとは思いますが、1000mタイムトライアルはスタンディング状態から加速するダッシュ力、シッティングに移行して踏み込むトルクとMaxのケイデンスから生み出されるトップスピード、そして無酸素系の限界を超え走り続ける耐乳酸能力とスピードを維持する持久力、トラック競技に必要な全ての要素を凝縮した競技です。
 
そんなタイムトライアルのデータをそれぞれの要素を比較しやすいように、まずはラップタイムに分割していきましょう。と言っても、いま日本には250m・333m・335m・400m・500mと5種類の周長を持つバンクがありますので、今回はその中で最も数が多い400m走路、そして国内の公式戦で基準となりつつある250mのインドア走路のデータで説明していきたいと思います。

※これから説明する分析方法は、ある程度の目安になるものの分析結果が選手によっては当てはまらないケースがあることをご承知の上ご覧下さい。
 
<400m走路での分析>
400m走路で簡単に測定出来る区間タイムは半周毎の200mです。ここではスタートからゴールまで200m毎に5つの区間タイムを計測し、そのデータを基に分析していきます。

一般的な1000mの走り方では、約200m前後をダンシングポジションで加速し、その後シッティングに移行してケイデンスを上げ400m前後でトップスピードに乗り、その後徐々に失速しながらゴールへと向かいます。

もちろん全ての選手がこのパターンに当てはまる訳ではありませんが、これまで計測してきたデータでは90%以上の選手がこのパターンに該当するため、これを1つの基準として考えます。これを400m走路で当てはめると、スタートから最初の第一区間のタイムはダンシングポジションでのダッシュ力を表す数値と考える事が出来ます。単純に「この区間が速い = ペダリングトルクが高い」と言う事です。
 
●ダンシングポジションでの出力の数値化 ダッシュ力
 [ 第一区間タイム ]

 
次の第二区間ではシッティングポジションに移行してさらにケイデンスを上げスピードを上昇させることから、シッティングポジションでの出力の高さを測ることが出来ます。もちろんタイムで計測した場合第一区間が速い人ほど第二区間も速くなるので、タイムだけを持って出力が高いと判断するのは安易すぎます。そこで第一区間のタイムと比較して第二区間がどれだけの割合でタイムを短縮したか、それの割合で比較してみました。
 
●シッティングポジションでの出力の数値化 加速力
 [ (第二区間タイム - 第一区間タイム) ÷ 第一区間タイム ╳ 100 ]

 
この計算式は、第一区間と第二区間のタイムを比較しどれだけタイムが上昇したかを計算し、その上昇したタイムが第一区間のタイムのどの位の割合を占めているかを計算した式です。
※計算上マイナスの数値(負数)になりますが正数として比較してください。
 
自転車が走る為にはペダルに対して力を加える必要があります。力を加えた分自転車は加速していきますが、走らせる際には様々な抵抗を受ける事になります。バンクを走る路面抵抗や、様々な機材を動かす摩擦抵抗、なかでも大きいのは速度の二乗に比例して増えていく空気抵抗です。ここではそういった抵抗を全て合わせたものを便宜上走行抵抗と表します。
 
自転車を走らせる際ペダルにかける力が走行抵抗を上回れば自転車は加速しますが、走行抵抗より小さければ自転車は減速することになります。第一区間のタイムは静止状態からのスタートですから低速時の空気抵抗は殆ど無く、路面抵抗や摩擦抵抗だけですので素早く加速していきます。第二区間ではさらにそこから加速してトップスピードまで上げていくので空気抵抗が最大になります。言い換えれば持っている最大の出力であがなえるスピードがここで出る事になります。
 
実はこの2つの区間のタイムを比較することはあまり意味がありません。第二区間と第三区間以降を比較するのであれば同じシッティングポジションで走行状態でのタイム変化ですから、色々と参考にする事は出来ますが、静止状態からのタイムと、慣性走行に入ってからのタイムの比較はかなり無理があります。あくまで目安として考えてください。しかしその目安の数値だったとしても数多くデータを集め比較することで評価する基準を見つけ出すことが出来ます。
 
第二区間でトップスピードを記録した後は、ペダルに対してかける事の出来る力をどれだけ維持出来るかと言う事になります。速筋繊維が徐々に酸性に傾く事で出力は低下していき、遅筋線維の代謝能力が試される区間です。遅筋線維の代謝能力が高い選手はゴールまで極端な速度の低下は見られませんが、それでも一定の割合で速度は低下していきます。

遅筋線維の代謝能力が低い選手は、無酸素エネルギー最大運動時間(約40秒)を越える600m付近で一旦大幅な失速を見せますが、速度の低下により空気抵抗が減少する事である程度のペースを維持しながら、と言っても速度低下は続きますがゴールを目指す事になります。
 
●シッティングポジションでの出力の数値化 持久力
 
[ (第三区間タイム – 第二区間タイム) ÷ 第二区間タイム ╳ 100 = a
(第四区間タイム – 第三区間タイム) ÷ 第三区間タイム ╳ 100 = b
(第五区間タイム – 第四区間タイム) ÷ 第四区間タイム ╳ 100 = c
( a + b + c ) ÷ 3 ]

 
トップスピードに上昇した第二区間以降は徐々にタイムが低下しますが、この計算式では区間毎の低下タイムを計算し、その低下タイムが前走区間に対してどの位の割合(低下割合/減速率)低下したかを算出したのち、三区間の平均(減速率)を求めています。
 
「前回までの難しい運動生理学の話が終わったかと思ったら、今回はめんどくさい数学の話か。。。」と思われている方には申し訳ありません。ここから自転車のトレーニングの話に繋がって行きますのでもう少し辛抱してください。
 
さて、ここでサンプルを紹介しましょう。
 

<参考Data001>をご覧下さい。

このデータは今から十数年前に計測した、当時競輪学校受験生だった3名の選手の1000mラップタイムです。ギアは受験用49-15T、自転車は競輪用のクロモリフレームです。個々の表の一番上ラップタイムはそれぞれの距離の通過タイム、二番目の区間タイムはそれぞれの区間タイムです。減速タイムとあるのは前区間との差を表し、減速比率は前走区間に占める割合を表しています。
 
左端の小さな表にあるのが先ほど説明したラップタイムから計算した数値になります。

スタンディング200m = ダッシュ力の指標として使用
200 – 400m 加速力 = シッティングでの加速力の指標として使用
平均減速率     = 持久力の指標として使用
 
この3選手の指標を相対的に比較すると、選手Aはダッシュ力に優れ、加速力は劣りますが、平均的な持久力を持っていると言うことができます。同じ様に選手Bはダッシュ力は劣りますが、加速力は平均的で、持久力が優れている選手。選手Cはダッシュ力が平均的ですが、加速力が特に優れ、その分持久力が劣っている選手と言うことになります。その後この3選手は共に競輪選手としてデビューし、それぞれの脚質を生かした一流選手として誰もが知るところとなりました。
 
この分析方法は、1人の選手を1回だけ計測したのでは全く意味をなしませんが、例え1人の選手でも継続して計測し比較したり、多数の選手を同条件で計測して比較することで様々な意味合いを持って来ます。
 
<250m走路での分析>
250m走路では半周毎に電子時計によりタイム計測される事が多いので、そのデータを利用して分析を行います。400m走路よりも細かい分析になりタイムや比率が小さくなるので混同しないように注意してください。
 

次に<参考Data002>をご覧下さい。

このデータは2012年にオーストラリア・メルボルンで行われた世界選手権の1000mタイムトライアルのデータです。先程の表と違うのは各項目が2段になっている所だけで、それ以外の見方は同じだと思ってください。各項目の上の段はこの大会で優勝したドイツのステファン・ニムケ選手のラップタイムです。そして下段はこの大会のトップ10の選手10人の平均値を算出しています。そして下の表はそれぞれのチェック項目をピックアップしています。
 
下の表の数値を次の指標として扱います。

スタンディング125m = ダッシュ力の指標として使用
250 – 375m 加速率 = シッティングでの加速力の指標として使用
平均減速率     = 持久力の指標として使用
 
そして今回はトップ10の選手の平均値を算出し、今回(ステファン・ニムケ選手)との差異を出していますので、ステファン・ニムケ選手の競技力の特徴が分かりやすくなっていると思います。それぞれの数値が小さいので比較するのは難しいのですが、トップ10の平均と比べるとステファン・ニムケ選手は、ダッシュ力がやや遅いものの、その後中間加速(ダンシングポジションでの後半の加速力)が強く、シッティングに入ってからトップスピードはそれほど高く無いものの、後半の持続力がきわめて高いという事が言えると思います。

つまり典型的なスプリンターというよりも、中距離も踏めるステアー系の脚質であると考えられます。こういったラップの刻み方はオムニアムの選手に多く見られます。
 

最後に<参考Data003>をご覧下さい。

このデータは同大会に参加した日本人選手のタイムデータです。下段は先ほどと同じく同大会のトップ10の選手の平均値を算出しています。先ほどのステファン・ニムケ選手同様下の表ではトップ10の平均値と差異を計算していますが、ダッシュ力、加速力共に不足していますが、特にシッティングポジションでの加速力で大きく差を付けられてしまっています。

スタートから250mのタイムにそれほど差がなかったとしても、シッティングに移ってからの加速の差はそのままトップスピードの差となり、その後の平均減速率で挽回したとしても1000mでは1秒以上の差となってしまうと言うことが分かると思います。このデータから強化ポイントを導き出すとすれば、シッティングポジションでの加速力、特に股関節伸展の筋力の強化が必要だと言う事です。
  
さて、いかがだったでしょう。単なる数値の比較だとしても継続してデータを集計することでこれだけの事が見えてきます。もちろん一般の方が国際大会のタイムデータを膨大に集めることは難しいと思いますが、県大会や地区大会、もしくは国内で行われる国際大会のデータであればなんとか集めることが出来ると思います。その上で自分の、もしくは指導している選手のタイムを継続的に記録し、データベース化する事で強化すべきポイントも自ずと見えてくると思います。是非参考にしてみてください。

AUTHOR PROFILE

佐藤一朗 さとう・いちろう/自転車競技のトレーニング指導・コンディショニングを行うTrainer’s House代表。運動生理学・バイオメカニクスをベースにしたトレーニング理論の構築を行うと同時にトレーニングの標準化を目指す。これまでの研究の成果を基に日本代表ジュニアトラックチームを始め数々の高校・大学チームでの指導経験を持ち、現在はトレーニング理論の普及にも力を注いでいる。中央大学卒/日本競輪学校63期/元日本代表ジュニアトラックヘッドコーチ                                       ▶筆者の運営するトレーニング情報発信ブログ    ▶筆者の運営するオンラインセミナーの情報

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