佐藤一朗「目的別トレーニング④ リカバリー」
以前トレーニングについて最初にお話しした事を覚えていらっしゃるでしょうか。
トレーニングとは「身体に対して一定の刺激を入れ続ける。それによって身体に変化を促す事。」と、手に作るマメやタコの事をご紹介したと思います。(※本格的なトレーニングを開始する前に 参照)
鉄棒の練習をしていると手のひらにマメが出来るという話です。普段強い刺激にさらされていない手のひらが鉄棒を握り、こすれ、その圧力と摩擦で水ぶくれが出来、気がつけば厚い角質になっていく、その過程をトレーニングにたとえてお話ししました。
これまでお話ししてきたトレーニング方法は全て身体に対して刺激を入れる手段です。
強化する目的に応じて効果的に刺激を入れるトレーニングメニューをご紹介してきました。刺激を受けた身体は少しずつ変化し筋力やエネルギー代謝力を高め、競技力の強化へと繋がって行きます。
一方で効果的なトレーニングメニューを考えて日々それを積み重ねていても思うように成果に繋がらないことがあります。それにはいくつかの原因が考えられますが最も良く起こるのが疲労の蓄積によるパフォーマンスの低下と故障です。
トレーナーズハウス(鍼灸マッサージ院)では疲労を3つに分類して考えています。
1つは体力的疲労。これはバランスの良い食事をしっかり摂って体力を回復させるために休養や睡眠を十分取ってもらうことで回復出来ると考えています。
2つ目は精神的疲労。スポーツ選手に限らず日常生活のあらゆるストレスによって精神的な疲労は蓄積していきます。ただこれに関しては個々のケースで改善策が違ってきますのでここでは触れないことにしておきます。
そして最後の3つ目がスポーツ選手に最も関係の深い筋肉的疲労です。
競技力向上の為身体に刺激を入れるトレーニングは、ある意味身体を疲れさせる原因に他なりません。トレーニングすればするほど身体は疲労します。しかしここで問題になるのは休めば回復する体力的疲労では無く筋肉的疲労です。
筋肉的疲労は高い強度のトレーニングを行った際筋繊維が損傷し修復が追いつかないことで生じる疲労と、筋肉が硬くなることで関節の可動角が狭くなったり動きが重く感じる等の疲労があります。
筋力トレーニングなど強い刺激で筋肉にダメージ(刺激)を入れた場合には速やかにタンパク質や糖質などの栄養を補給し回復出来る時間を取ることで解消する事が殆どです。
しかし筋肉が硬くなってしまった場合は休養を取るだけでは回復しないことも多く、悪化させるとパフォーマンスの低下、さらには故障へと繋がる事も少なくありません。
ここからはトレーナーとしての見解になります。
これは専門的な分野ですので「コーチとしての見解」まで読み飛ばして頂いても結構です。
筋肉が収縮して固まることを一般的には”こり”と呼んでいます。肩こりと言えば多くの人が経験したことがあると思います。
治療の勉強をしているときこのこりの原因についても学んだのですが、最も多いこりの原因は何らかの要因で筋肉に対して酸素の供給が不足することでした。この機序について箇条書きにしてみると以下の様になります。
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<こりの発生する機序>
start:筋肉に対して酸素の供給が不足する
①:有酸素系のエネルギー代謝が低下する
②:ピルビン酸や乳酸が筋中に増加し酸性へと傾く (ph低下/水素イオンの増加)
③:水素イオンは体内で多量に発生すると”内因性発痛物質”として痛みを感じる
④:痛みを感じることで交感神経が興奮し局所の筋肉が収縮する=>こりの発生
⑤:交感神経の興奮に伴い局所の血管平滑筋も収縮し血液の流入量が低下する
⑥:血液の流入量低下に伴い酸素の供給量がさらに低下する
startに戻る
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これを治療家の間では”痛みの悪循環”と呼んでいます。
以上の様な機序で筋肉のこりは徐々に大きくなり、パフォーマンスを低下させて行きます。
こりの原因となる酸素の供給不足は特別な状況のみで発生するわけではありません。肩こりを経験したことのある人であれば思い当たると思うのですが、”気がついたらこっていた”と感じられるようになにか特別なことをするわけでも無く日常生活のなかにその原因は隠されています。
一般の方のこりの原因として最も多いのが同じ姿勢で仕事や作業を続けた際に起こる筋肉の持続的緊張によりる血流の阻害です。
血液の流れは心臓から拍出される力だけでは無く、骨格筋に力が入ったり緩んだりすることで送り出される筋ポンプの作用も大きく影響します。
しかし姿勢を維持する時のように低い出力ですが力が入り続けることでその筋ポンプの作用は減少し血液の流れは低下、当然酸素の供給も低下してしまいます。
ではスポーツ選手ではどういった場合に酸素の供給不足が起きるのでしょうか?
日頃トレーニングによって身体を動かし続けている選手にとって筋ポンプが作用しないと言うことは考えられません。それどころかハートレイト(心拍)を限界まで上げてトレーニングしているわけですから血流が阻害されることもありません。
血流が十分に行き届き酸素の供給も問題無く行われているにもかかわらず”酸素の供給が不足し筋肉にこりが生じる”。少し理解に苦しみますね。
ここで運動時のエネルギー代謝について思い出して見てください。
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a.食事によって得られた栄養素の多くは胃で消化され腸で吸収されます。
b.細分化された糖質(炭水化物)は血糖/グリコーゲン/グルコースという形で血液によって運ばれグルコースの状態で速筋細胞に供給されます。
c.速筋細胞に取り込まれたグルコースは酵素によって分解されエネルギー(ATP)を産生すると同時にピルビン酸や乳酸を排出します。
d.速筋細胞から排出されたピルビン酸や乳酸は遅筋細胞に取り込まれてクエン酸回路及び電子伝達系によってエネルギー(ATP)を作りだし、水と二酸化炭素を排出します。また消化された脂肪酸もこの行程でエネルギーを作り出します。
参考:身体の基本を知る2 ~運動生理学~
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強度の高いトレーニングをした場合、速筋線維による無酸素系のエネルギー代謝が先行します。
そこで産生されたピルビン酸や乳酸はその後遅筋線維の有酸素系のエネルギー代謝で消費されるのですが、強度の高いトレーニングを終えたばかりの筋肉の状態を想像して見てください。
酸素負債が起きているので暫くは心拍の上がった状態が続きますが、その後徐々に心拍は低下し血流量も減少します。しかし筋中には無酸素系のエネルギー代謝で酵素分解されたピルビン酸や乳酸が多量に滞留しています。
この状態でトレーニングを終了した場合どうなるでしょうか?
もうお分かりですよね。強度の高いトレーニングメニューを終えた後そのままトレーニングを終了してしまった場合、筋中は酸性に傾いた状態となりこりの発生する機序で言うところの②に相当する状況に陥ると言うことです。
もちろん筋中のピルビン酸や乳酸はその後血流によって多臓器に運ばれ消費されるので何時までもその状況が続くわけではありませんが、こりが発生するメカニズムがスタートしてしまう事には変わりありません。
筋肉にこりが生じると言うことは筋繊維が収縮して固まると言うことです。これを筋の硬結(こりの正式名称)と呼びます。
筋繊維は収縮することで出力を発揮しますので、筋繊維の一部が収縮した状態で固まってしまえばその部位は出力を生まなくなります。
これが疲労の第1段階であるパフォーマンスの低下です。この段階では殆ど自覚は無くただ調子が悪いと感じる程度です。
一方で、膝を曲げる筋肉(ハムストリングス)があれば膝を伸ばす筋肉(大腿四頭筋)があるように、関節を稼働させる筋肉には必ず反対に稼働させる筋肉があります。
これを目的の動きに拮抗すると言うことから拮抗筋を呼びますが、この拮抗筋も同じように疲労の蓄積によって一部の筋繊維が硬結を起こします。そうすると目的の動作を行おうとすると拮抗筋が思うように伸びずに抵抗となり動作が重く感じるようになってきます。
これが疲労の第2段階である身体が重い、動きが重いと言った自覚症状です。
さらに筋の硬結が進み筋繊維の短縮する部分が増えて行くと、筋肉そのものの長さが短縮して行きます。
それでも運動を継続して行くと筋肉が骨に付着している部分に負担がかかり、炎症を起こしてしまう事があります。
また、関節を幾つも跨ぐような筋肉が短縮した場合、関節を圧迫するような負荷がかかり関節の障害や椎間板ヘルニアの様な神経症状にまで発展してしまう場合もあります。これが疲労の第3段階といえる故障です。
そこまで行ってしまった場合医師の診断を受けた上で適切な治療を行う必要性に迫られ、当然ですがトレーニングを続ける事は出来ません。
再びコーチとしての見解に戻ります。
途中読み飛ばした方はここから再びご覧下さい。
👉リカバリーの重要性 〜リカバリートレーニングとは〜
日頃トレーニングによって身体に刺激を入れる一方で、トレーニング効果を最大にする為には筋肉や体力の回復をしっかり行う必要があります。
刺激を入れる事は変化を促すきっかけにはなりますが、必要な食事によって必要な栄養を摂取し、身体を回復させる為の時間が無ければ変化は起きません。その回復を促す為にまず行って欲しいことがあります。それがリカバリーです。
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<トレーナーズハウス的用語の定義>
リカバリーという言葉は直訳すれば「回復」とか「復旧」という意味なので、こういった使い方をすると言葉として少しおかしくなるので、ここでは回復させる為のトレーニングと言うことで「リカバリートレーニング」と表現します。
スポーツ選手におけるこり(硬結)の機序の所でもお話しした様に、筋肉が短縮して硬くなる最初の原因は強度の高いトレーニングを行った後、ピルビン酸や乳酸によって筋中のpHが低下し水素イオンが滞留することによって始まります。
本来ピルビン酸や乳酸は筋肉の硬結を生じさせる為の物では無く、遅筋線維を動かすエネルギー源として産生されています。
しかし高出力のトレーニングを終えた後それを消費せずにトレーニングを終えることで疲労の蓄積へとつながり、パフォーマンスを低下させる原因となってしまいます。
そこでトレーニング効果を最大にするためには産生されたピルビン酸や乳酸を使い切ってトレーニングを終える必要があります。それがトレーナーズハウスの提唱するリカバリートレーニングです。
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👉リカバリートレーニング (参考)
《Program10:リカバリー周回 ※400mバンクでの設定》
<目的>
出力の高いトレーニングによって酸性に傾いた筋肉のpHを回復させる為に行うトレーニング。
パワー系トレーニングでは速筋繊維を優先して動作させるため、ピルビン酸や乳酸が多量に産生され筋中のpHは酸性へと傾いている。
その状態でトレーニングを終了してしまうと酸性物質は痛みを生じる為、筋肉は収縮して硬結を起こしやすくなる。
これを悪化させるとパフォーマンスの低下を起こすだけでなく故障の原因になりかねない為、トレーニングの最後に筋中の酸性物質を有酸素運動によって代謝しておく必要がある。
<方法>
ギアレシオによる負荷の設定:
パワーを必要としない軽いギアを使用。(低負荷/50-16T程度)
走行距離の設定:
400mバンク20周(15分程度)
トレーニング方法:
バンク上段からシッティングのまま惰性で降り、400mバンクの場合40秒~45秒を目安にある程度の心拍を維持出来るペースで20周行う。
周回のペースはLT値(乳酸閾値)やOBLA(血中乳酸上昇開始点)との相関があるため、競技力、特に持久力(有酸素能力)によってグループ分けしペースを決める。
中長距離を得意とするグループは40秒/周、短距離系のグループは43秒/周、競技力の低いグループは45秒/周を目安とし、筋肉が回復し自然とペースが上がった場合はあえて落とすことはしない。
👉リカバリートレーニングのポイント
筋肉が酸性に傾いているときは設定タイムが速く感じ、踏み込まなければスピードを維持出来ないように感じるが、時間にして10分を過ぎた辺りから乳酸の抜けてきた選手は意識せずともペースを維持出来る様になり、場合によっては設定を大きく上廻るペースまで上昇する場合もある。
逆にエネルギー代謝力の低い選手(特に短距離系の選手)は設定が速いと速筋線維の出力を高めてしまうためリカバリーを行う事が出来ずに周回から離れてしまう場合もある。
各選手の乳酸が抜けるタイミングが把握出来るまでは設定タイムを押さえて適切な設定が出来る様に工夫する必要がある。
👉追加ポイント!! クールダウンとリカバリーの違い
トレーニングの最後にリカバリートレーニング同様に軽いギアで行われる事が多いいわゆる”クールダウン”ですが、この2つを混同しないように注意してください。
クールダウンは心拍を落とす整理運動として行われますが、リカバリートレーニングは有酸素系のエネルギー代謝を促すために心拍を一定以上で維持する為の運動です。
心拍は言い換えれば血液循環の1つの指標です。乳酸が抜けて脚の動きが戻って来てから整理運動としてクールダウンを行い心拍を下げる事は推奨しますが、リカバリーの本来の目的を損ねないようしっかり理解して行って下さい。