宮澤崇史「生と死」
2001年9月10日。
あの日、生体肝移植手術を受けてから今日で17年。
最近、あの頃の事を少し思い出すようになりました。
基本的に僕の頭は嫌な思い出は消えていくようにできているので、あの頃の記憶も当然消えてなくなると思っていましたが、逆に思い出すこともあるんだなと。
長期休職中の母、大学生の姉、プータローの僕。
家庭に働き手が一人もいない状態で、先の見えない日々を過ごしていました。
それでもお金を節約しなければならない日々を苦労と感じることがなかったのは、母のお陰だったんだなと改めて思い出す。
手術前の説明でドナーの命も100%安全ではないと聞き、万が一を考えて「最後に食べたいものを食べておこう」と、ジェラテリアで1リットルのジェラートを食べたことだけは鮮明に覚えています。
なぜなら、ジェラートを食べ終えた時にふと
「これで最後でもいいかな」
と思えたし、もしかしたら最期の瞬間に欲しいものなんて大して意味を持たないんだろうな、とも思えたから。
この頃からだろうか、もしも今日が最期の日でも良いように、人生を送ろうと思ったのは。
手術に要した時間は9時間。目を瞑り、麻酔が効き始めて意識が遠のいていく中で最後に浮かんだのは、自転車に乗っている僕自身の姿だった。
一つだけ親孝行ができた事があるとすれば、プータローの自転車選手をやっている間に、移植するには最高の肝臓を育成し続けていた事だろう。
人生、どう転ぶかわからない。
何の取り柄もない人間でも、たった一つの目標があるだけで、人は他人を幸せにする何かを持っている可能性があることを知った瞬間だった。
将来の夢でもなく、ただただ自転車の上にいるだけの人生でも。
手術後の第一声は、「疲れたから休ませてくれ」だったと自分では記憶している。
しかし付き添った姉から聞いたのは、「僕生きてたんだね」だったらしい。人生の中で経験したことのなかった疲労感の中で、直ぐに眠りについた事を覚えている。
翌日眼が覚めると、姉の「テレビを見て!」の第一声に、「映画でもやってるの?」と思った。そこには9.11のいたましい同時多発テロの映像が流れていた。
あの日は、僕の人生の中で最も生と死を強く意識した日だった。
あれから17年が経ち、18年目に突入する中であらためて今、僕はどう生きているか。
という問いかけを、僕は常に自分自身に投げかけている。
僕が僕として生きていく、肩書きではなく僕らしく生きる生き方をこれからも続けていきたい。
<関連動画:宮澤崇史 生体肝移植の経験を語る(2011年11月16日)>