栗村修「OITAサイクルフェスでみた様々な想い」

Posted on: 2015.11.02

昨日、2015年Jプロツアー最終戦となる『JBCFおおいたいこいの道クリテリウム』が開催されました。優勝を飾ったのは宇都宮ブリッツェンの青柳選手で、2位にもチームメイトの大久保選手が入りました。

青柳選手はチームの地元である宇都宮出身の選手で、2013年まではシマノレーシングに所属していましたが、不整脈などの症状がではじめた2012年以降本来の走りができなくなり、シマノレーシングとの契約がストップします。

「辞める前にもう一度地元で走りたい」という想いを胸に宇都宮ブリッツェンの門を叩いた青柳選手は、2年間かけて徐々に彼らしい走りを取り戻し、とうとう今シーズンの最終戦でチームメイトの献身的なアシストを受けて国内メジャーレース初優勝をもぎ取りました。

実は、青柳選手は宇都宮ブリッツェンと契約する2013年の冬に、チームトレーナーの指示で心臓の精密検査を行っていました。もし、ここでの検査結果が芳しくなければ、自転車選手を引退することが確定となっていました…。

また、2014年からレース主催者の仕事へ転職することが決まっていた私にとって、この2013年の冬の青柳選手との病院通いは『監督としての最後の仕事』でもありました。

たしか、検査結果がでるのに2週間ほどかかった記憶がありますが、青柳選手にとってはとても長い2週間だったはずです。

あまり感情を表に出さない青柳選手ですが、『契約OK、選手を続けられる』という診断がでた時、彼がハニカミながらも安堵の表情を浮かべたのを今でもよく覚えています。

これまで私は、数えきれないほどの選手たちの夢と挫折を近くでみてきましたし、一人の男が人生の決断をするタイミングにも何度も立ち会ってきました。

心のアンテナが敏感な状態では自分の感情がやられてしまうので、いつしか感情をフラットに保つ術を身につけていきましたが、それでもやはり心を動かされる時が年に何回かあります。

今回の大分ではそんな『特別な想い』を感じることができました。

また、今年で2回目を迎えた『OITAサイクルフェス!!!』ですが、大成功に終わった昨年以上の観客が会場に集まり、2年目のジンクスを見事に打ち破りました。

この大会の主催者は『大分市』ですが、大会に関わる方々の情熱はとても熱いものがあります。こういったイベントを開催する際には当たり前の心構えなのでしょうが、『守らずに攻めていく』彼らの姿勢からは多くの刺激を受けます。

いつも書くことではありますが、物事というのは『現状維持』を選択すると必ず『衰退』がはじまります。民間企業であればそれらをより顕著に感じることができるでしょう。

しかし現代社に於いては、一昔前には『安定の職場』と思われていた自治体などについても、安定を求め過ぎると、本質的には『死』を選択することに繋がってしまうといえます。

『様々な想い』と『素晴らしい情熱』に触れることができた大分での4日間でした。

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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