栗村修「トップアスリートの引退後」

Posted on: 2016.08.17

連日、リオ五輪で競い合うハイレベルな競技のトップアスリートたちを観ていて感じることがあります。ここまで一つのことに集中し、そして、全てをぶつけてしまうと、引退後の人生が結構大変なのではないかと…

私自身も一応アスリートの端くれなので、引退というものと向き合う過程で、様々な精神的葛藤を一応ですが経験はしました。とはいえ、アスリートとして国民や何万人もの観客の前で大きなプレッシャーを受けながら戦った経験もなければ、ウン億円というギャラをもらって自転車にまたがった経験もありません。

一つ言えるのは、ほぼ自分の意志で、自分のために走っていたに等しいので、続けるも辞めるも、自分自身の中の問題であったということです。そんな環境下で私が自転車から降りた時の感情というのは、99%が敗北感と劣等感で形成されていました。

ヨーロッパで一応プロにはなったものの、向こうではジュニアとアマチュア時代に何回か表彰台に上った程度で、もちろんプロでの勝利はゼロ。17歳でフランスに渡ったので、ツール・ド・フランスを目指す本場のジュニア選手たちというものを間近にみながら本場で生活したわけですが、その殆どのジュニア選手たちと同様にツール・ド・フランス出場は夢のまた夢で終わりました。

また、アジアや国内でもいくつかのメジャーレースで勝ったり表彰台には上がったものの、全日本チャンピオンになっていなければ、オリンピックにも出場していません。言ってみれば、選手時代に受けた屈辱と劣等感が、その後の人生の原動力になっているともいえます…

もちろん、全てのモチベーションを劣等感から得ているわけではありませんが、キツい時に『これ以上負けるわけにはいかない』という気持ちで踏ん張ってきたのは事実です。

幸い、一般社会というのは、スポーツと違って努力が結果に繋がりやすく、また、スポーツほど才能という残酷な現実に支配されていないので、なんというか、耐えながらがんばっていれば、それなりには前に進める気がします。

また、自分のパフォーマンスに対して明確な順位がつくこともほぼなければ、命と人生をかけて100%仕事と向き合っている人なんて殆どいないので、80〜90%ほどで仕事と向き合えば、ワーカーホリック?と呼んでもらえます。

少し話が逸れましたが、トップアスリートとして、究極の自己実現と成功と名声を得てしまった人間が、その後の人生とどう折り合いをつけていくのかにはとても興味があります。

プロがあって恵まれているスポーツであれば、そこそこやっただけでも経済的に残りの人生なんとなかなるレベルまで蓄えを増やすことは可能です。

ただ、30歳そこそこで残りの人生いっちょ上がってしまうほど稼いでしまうと、それまでのモチベーションとパワーと、引退後のモチベーションとパワーの間に大きな差がありすぎて、意外とみんな人知れずハードランディングを強いられている気はします。

一方で、オリンピックチャンピオンになっても、殆ど蓄えを残せないスポーツというのも少なくありません。

ただし、恐らく経済的に恵まれていないスポーツに取り組んでいる選手の方が、セカンドキャリアへの移行はどちらかというとスムースな気もします。

いずれにしても、普通の人間には到底味わうことのできない究極の『喜怒哀楽』を経験したトップアスリートたちの裏のメンタルというものをもっと知ってみたいと感じた夏の夜であります。

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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