佐藤一朗「戦えるパワーを手に入れるための難しさ〜続編〜」
以前「持久力アップの為のトレーニング」のところで1度触れたことがありますが、パワーを高める事と持久力の両立の難しさについて少しお話ししたいと思います。
Photo by M.Arai (KEIRIN MAGAZINE)※画像はラッパーをしていた為頂き物です。
速く走ると言う事は走る為に生じる抵抗との戦いです。路面抵抗やパーツなどの摩擦抵抗、なにより大きいのは速度の二乗に比例して増加して行く空気抵抗です。スピードレンジが上がれば上がるほどそれは大きくなります。「高地で走るとタイムが出る」と言うのは空気の密度が薄いため抵抗が少なくなる事を表しています。
そういった走行抵抗を受けながらスピードを上げていくためにはパワーが必要です。1歩あたりのトルクを上げ高いギアレシオを踏みこなしつつ、ケイデンスを高める事でパワーを大きくしていかなくてはなりません。
一般のサイクリストの適正ケイデンスは90~100、ロードレースを走る人の標準的なケイデンスは90~110位でしょうか。トラックレースでは種目によって大きく異なりますが、タイムトライアルでは115~120程度だと言われています。
このようにペダリング時に安定して出力できるケイデンスは、ある程度の幅の中に限られています。つまりスピードを上げるために残された道はギアレシオを上げるしかないのです。
ギアレシオを上げる為には1歩あたりのトルクを上げる必要があります。そしてトルクを上げる為には速筋繊維を強化し筋力を高めなくてはなりません。
速筋繊維は糖質を酵素分解することでエネルギーを生み出します。そこで分解された糖質は、ピルビン酸や乳酸という形で速筋繊維から排出され、持久系の遅筋線維に取り込まれ酸化されることでさらにエネルギーを生み出します。速筋繊維と遅筋線維の出力バランスが整っている、もしくは低い出力でしか動作させない場合、このエネルギーサイクルは非常に効率的に働くシステムです。
しかしトルクを上げる為に速筋繊維を強化し高い割合で動作させた場合、そこで産生されたピルビン酸や乳酸は遅筋線維で代謝しきれずに筋中で酸性度を高める事になります。
困ったことに速筋繊維でエネルギーを生み出す酵素はpHが酸性に傾く事に弱く、一定のpHに達すると酵素分解の能力が著しく低下し、結果として速筋繊維を動かす為のエネルギーを作れなくなってしまいます。そこで高い出力を持続的に使う為にはピルビン酸や乳酸をしっかり代謝出来るだけの有酸素能力を身につける必要があるのです。
中長距離系のタイムトライアルはこのバランスとの戦いです。ペースを抑えて筋出力を低く保てばゴールまで一定のペースで走る事が出来ます。しかしそれではレースに勝つことが出来ません。しかしオーバーペースで走り高い走行抵抗をあがなうために筋出力を高くしてしまえば、筋中のpHは徐々に酸性へと傾き解糖出来なくなった時点で大幅にペースダウンしてしまうことになります。それでもやはりレースに勝つことは出来ません。
今年の4月に行われた全日本選手権男子エリート・4km個人パーシュートで果敢に日本記録を目指してアタックした選手がいました。最初の1000mを1’09″376で入り、次の1000mは1’05″308。ここまでは日本記録を大きく上回るペースでした。しかしその後徐々にペースは落ちて行きます。3000mのラップは1’08″287、そしてラストの1000mは1’10″271。日本記録から3秒近く遅れる結果となりました。
スタートからオーバーペースだったのかもしれません。しかし気負いは感じられませんでした。やはりトレーニングによって出力が上がった分、有酸素能力が追いついていなかったのです。
それから約半年。またその選手は同じ舞台に帰って来ました。選手に対してラップタイムを告げる役割を通称「ラッパー」と呼んでいます。ラッパーとして「何か伝えて欲しい事はある?」とたずねると、「行けるぞ!って言ってください。」とだけ笑いながらつぶやく表情に自信を感じました。
スタートの1周をやや抑え気味に入り、前半から突っ込んでいくペース配分ではなくビルドアップで徐々にペースを上げ、最初の1000mを1’11″976で通過。その次の周にようやくトップスピードに。
その後は判で押したように16秒台前半のペースを刻み、次の1000mは1’04″289、その次の1000mも1’04″937。3000mを通過してなお衰えないスピードを見て春の二の舞は無いと確信すると、ここでようやく頼まれていた言葉を贈る。「行けるぞ!!」
その後もスピードの低下は最小限に抑えられラップにして0″1程度。最後の1000mは1’05″561。その瞬間彼が待ち望んでいた日本記録が更新された。
大学1年で日本記録を更新したあと、その後3年半記録は伸びることはなかった。「記録は出ていなくても毎年1秒くらいは縮めてました。」と笑いながらインタビューに答えていても、記録が出ないことに葛藤の日々が続いていたと思う。
何をどうすれば記録が伸びるのか。どうすれば世界と戦えるのか。日頃感情をあまり表に出さずに淡々とした”マイペース”の彼だが、競技に向き合う姿勢だけはいつも真剣だった。チームのコーチとして彼と関わる最後の大会で記録更新の場に立ち会えたことを本当に嬉しく思う。
(大会詳細記事 by CYCLOWIRED)
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