栗村修「増田選手 復活勝利というドラマ」

Posted on: 2018.05.16

「事実は小説よりも奇なり」ということわざがあります。

日曜日に開催された「2018年 Jプロツアー 第8戦」となる「第2回JBCF宇都宮ロードレース」に於いて、宇都宮ブリッツェンの増田成幸選手が、昨年の春に発症したバセドウ病を見事克服して、非常に強い勝ち方で久しぶりの勝利を飾りました。

「フェニックス(不死鳥)」の愛称でファンから親しまれている増田選手は、これまでも多くの怪我を乗り越えて何度も奇跡的な復活を遂げてきました。

増田選手のすごい部分は、ただ復活するのではなくて、その都度強くなって戻ってくるところにあります。

並の選手ならば引退に追い込まれてもおかしくない様な状況下に於いても、必ず一筋の希望の光を見つけ出し、そして、その僅かな光を手繰り寄せながら、どん底から這い上がってくるのです。

そんな増田選手の走りにファンは熱狂し、そして、増田選手から「生きる勇気」を受け取るファンの方も少なくありません

現在、イタリアでは、世界三大ステージレース(グランツール)の一つである「ジロ・デ・イタリア」が開催されています。

「グランツール」がなぜ魅力的かといえば、コースがスペクタクルであるのと同時に、やはり、長い歴史が創り上げた数え切れないほどの「ドラマ」がレースのなかに組み込まれているからです。

往年の名選手、語り継がれる名勝負など、世代を超えた「リアルドラマ」があるからこそ、そこに大きな価値が生み出されていくわけです。

国内レースには、この積み上げられていく「ドラマ」というものがまだあまり多くありません。

それでも少しずつ、しかし確実に、文化に近づく様な「ドラマ」が積み上がりはじめています。

今回の増田選手の復活勝利というのは、間違いなく、宇都宮の自転車の歴史と、Jプロツアーというレース史に刻まれていく名シーンだったと感じています。

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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