栗村修「9年目のシーズンを終えた宇都宮ブリッツェン」

Posted on: 2017.11.27

地域密着型チームのパイオニアである「宇都宮ブリッツェン」の「シーズンエンドパーティ」が「宇都宮グランドホテル」で開催されました。

私が「宇都宮ブリッツェン」の監督を務めたのは、チーム発足2年目となる2010年~2013年の4シーズン。

後任の清水裕輔監督が監督に就任してからすでに4年の歳月が経ち、私の在籍期間と同様の時間が経ちました。

ご存知のように清水監督就任後の宇都宮ブリッツェンの活躍は素晴らしく、運営会社の成長と共にチームのリザルトは年々向上し続けています。

何事に於いてもいえることですが、常に右肩上がりの成長曲線を描き続けることというのはそう簡単にできることではありません。

それでもこのチームはブレないフィロソフィーをベースに常に進化を模索し続けているので、9年という時間で想像以上の成長と拡大を手に入れることに成功しました。

私自身も選手時代から常に前進することを好み、一方で、停滞や守りというワードを毛嫌いする傾向がありました。

「守りは停滞と死を意味する」という言葉は今でも正しいと思っています。

しかし一方で、最近(歳をとってから)感じることの多くなった考え方の一つに、「君子危うきに近寄らず」などがあります。

一昔前であればなんとなく嫌いな種類の言葉だったようにも思いますが、しかし、自分の人生の残り時間が少なくなっていくにつれて、無駄な時間を費やすことへの危機感が以前よりも強くなってきています。

また、以前、ドラマのなかで使われていたセリフの一つに「正しいことをしたけりゃ偉くなれ」という表現があります。

昔の自分であればこの言葉にも一定の嫌悪感を感じたと思います。

正直なところ、私自身には「昇進欲」や「権力欲」の様な男性特有の欲求があまりなく、どちらかというとジプシーの様に「やりたいことを自由にしたい」という想いを持っています。

ここまでの宇都宮ブリッツェンがそうであった様に、ベンチャー系組織が初期にみせる成長期間というのは、トライ・アンド・エラーの連続が正義であり、トライをしなければ何も手にすることはできないのでしょう。

しかし、あるレベルに到達した辺りから「攻める」だけでなく、「正しい目的のための守り(忍耐・継続)」も必要になってきます。

「ただ守るためだけの守り」などまったく興味がありませんが、しかし「正しいことをするための我慢」が時には必要なことも少しだけわかってきました。

「芯がブレないこと」、「(正しいことを)継続すること」。

この二つを続けていけば必ず一定の成果を挙げることができるはずです。

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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