栗村修「逆境が生み出すアドバンテージ」

Posted on: 2016.07.05

『ツール・ド・フランス』は序盤の3日間を終え、はやくも様々な出来事が起きています。

『自転車ロードレースとは人生そのものを象徴するスポーツ』とよくいわれていますが、逆境に立たされながらも強い気持ちを持って戦い続けている選手たちをみると、改めて本当にその通りだなと感じます。

ところで最近、『自転車ロードレースの選手になるとどれくらい稼げるのですか?』や、『自転車ロードレースの選手を辞めたあとは仕事がありますか?』などの質問を若い人たちから受けることが少なくありません。

自転車ロードレースの魅力を伝える立場としては『トップ選手になれば億単位で稼げるし人を感動させることのできる素晴らしいスポーツだよ』と言ってあげたい一方で、『キツイし危ないし業界全体のシステムが不安定だしトップ以外の稼ぎはそれほど良くないのでしっかり考えた方がいいよ』という本音も持っています…

しかし、自分の経験上、とても困難で理不尽な仕事などに真剣に取り組んだ先には、表面的には語られないポジティブな副産物があることも同時に伝えたい気持ちがあります。

人間というものは、よくできているというか、とてもややこしいうか、大変なことや苦しいことだけでなく、逆に、楽しいことや恵まれていることなど、全ての感情に慣れてしまい、そして、良くも悪しくも次第に鈍感になっていくという習性を持っています。

人生の前半(人間としての土台ができる時期)に特別なことや楽なことに慣れてしまうと、その後の人生が必要以上に大変になるという『人生の仕組み』ははよく知られていますね。

例えば、子供の頃に子役として社会的地位や大金を得てしまうと、その後必ず『引き戻す力』が働いて、壁などにぶち当たった際には、必要以上に曲がってしまうということがあります。

これはメジャースポーツなどにもいえることで、子供の頃からスポーツエリートとして特別な存在として周囲から一目を置かれ十代で億単位の契約金などを得てしまうと、その後20代前半で契約を打ち切られようものなら、目の前に現れるギャップはまさに『断崖絶壁』クラスになることでしょう。

一方で、日本国内ではマイナースポーツで、そして、とても苦しくて危険な自転車ロードレースというスポーツに、日本人の若者が取り組んだ結果直面することというのは、一般的には以下のような内容になります。

◯ 社会的地位のなさ
⇒ 国内では自転車ロードレースそのものを知らない人が多い

◯ 経済面の弱さ
⇒ 国内でプロと言われている選手たちの稼ぎは決して多くない

◯ 最終的には本場へ挑戦しなければならない
⇒ 言語や文化の違いを自力で乗り越えていかなければならない

◯ スポーツの特性上多くの努力と犠牲を求められる
⇒ 厳しい自己マネージメントが必要

◯ スポーツの特性上殆どの選手が勝てない
⇒ 苦しみと喜びのバランスが明らかに偏っている

などなどが挙げられます。

しかし、長い時間軸(選手引退後)でこれらの要素をみてみると、実はとてもポジティブなものを得ていることにも気付きます。

◯ 社会的地位のなさ
⇒ 団体などに守られているわけではないので個人の価値を高める意識が身につく

◯ 経済面の弱さ
⇒ 世間一般と比較して健全な経済観念が身につき少しでもお金をもらえることへの感謝度が高まる

◯ 最終的には本場へ挑戦しなければならない
⇒ 一人でも世界中をまわれるバイタリティーやコミュニケーション能力が身に付く

◯ スポーツの特性上多くの努力と犠牲を求められる
⇒ 計画をつくりそれを実行しそしてすぐに修正しながら我慢して続けていくことが当たり前になる

◯ スポーツの特性上殆どの選手が勝てない
⇒ 常人であれば失神するような痛みに日々耐えながらもそう簡単には報われないことが標準仕様となる

すべてではないにしろ、自転車ロードレースの選手が現役引退後にビジネスマンとして様々な場所で活躍している姿を多く目にします。

たしかに引退直後は一定の『違和感』を感じることもあるでしょうが、世間に慣れてしまえば、前向きで我慢強く、常にアップデートを心掛ける意識を持ち、グローバルでコンピュータなどにも強い人材が、社会に必要とされるのはある意味で当たり前なのかもしれません。

物事には『表面』と『本質』の二面性があります。

自転車ロードレースの選手が常人離れしたフィジカルを持っていることは誰しもが理解していることではありますが、それ以上、ロードレースというスポーツが生み出す優れたメンタルにも注目して欲しいなあと感じる今日この頃であります。

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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