福島晋一「いろいろあってもその上で好きになると言うのは」
ノルマンディーに来ている。自分の恩師、フランクモレールの50回目の誕生日に娘のアナイスに呼ばれたのは4月ごろだった。ちょうど、予定が開いていたので「行くよ!」と答えた。
同じフランスといえどもマルセイユからノルマンディーは遠い。朝7時オバーニュの駅まで歩いて、そこからマルセイユ駅に行き、そこからTGVでディズニーランドがあるマルネバレーまで行く。マルネバレーからはバスを使ってシャルルドゴール、クレイユ、ボベ、そして、農家の近くのアバンコーの駅に着いたのは夜の8時だった。
その日に農家に行く事は伝えていたが、何時に行くとは伝えていなかった。当日電車の中で電話をしてみたが、農家のおばさんもニックは出ない。先日電話した時は機嫌が良かったが、昨日電話しなかった事が悪かったか?
いないのか、怒って電話に出ないのか分からないので孫のジュスティンヌにメッセージを送って「モニックいる?」って聞いてみたら2日前にモニックの娘のソフィーが犬の散歩中に転んで腕を骨折したので病院にっていると言う話だった。
おもわず、モニックが怒って電話をとらなかった訳でない事にほっとして「それなら安心だ」と言いそうになって言葉を飲み込む。この前行った時はモニックが腕を折っていたし、今年はついていない。
ボベからはバスの運ちゃんと世間話をしながらアバンコーについた。このバスに乗るのは初めてだ。昔、ゆきやにパリに一人探検に行かせて、幸也が帰ってきたのがこのバスだった事を思い出しながらのった。
農家について、モニックとジョンピエールと孫のナタンと夕食!今年はポケットWIFIを買ったので農家でもインターネットができる。翌日、ソフィーの見舞いを孫のジュスティンヌと行った。僕が来た時に5歳位だったジュスティンヌもすでに22歳。車をぶっ飛ばす!
ソフィーは思ったよりも元気だったので一安心。夕方、7時から始まるフランクのパーティーに行った。フランクには内緒のこのパーティー。昨年、幸也のはからいで、自分の最終レースジャパンカップに来てくれたのも自分へのサプライズだった。今回はフランクへのお返しだ。
娘のはからいで鉢巻きを巻かれて入ってきたフランクは皆を見て涙腺が緩んでいた。
そこにいる、フランクの家族、親戚、友人ほとんどが自分とも面識があり、また、小さかった子供が自分よりも大きくなっていたりと感慨深いものだった。敢えて、フランスに来た自分を彼が彼の大切な人ほぼ全員に紹介してくれていたことが分かった。
夜7時に始まったパーティーはそう簡単には終わらない。朝2時を過ぎて、自分のダンスも力を失ってきた。フランクの前の奥さんと今の彼女が仲良く話をしているところがフランスらしいところだ。
フランクのおねいさま方は巨体を揺すりながら激しく踊り狂っている。ノジョンの監督のアランご夫妻に帰る時に農家にのせていってもらえないかと頼んだら、快諾してくれた。
うちのソファーで寝てもいいよ。とエルベが行ってくれたのだが、明日の午前中に銀行に行く用事があるので帰らなくてはいけない。3時には自分の家(自分の家のうよな農家)で眠りにつけた。
それにしても、暖かいパーティーだった。思い出を共有する友人たちの集まりは今や同窓会のようなものでそこでも康司や幸也の話もたくさん出る。皆、歳をとったり、大きくなったりしているが。
翌日、銀行にいったら例外的に閉まっていた。土曜の午前中は空いているはずなのだが…月曜も閉まっているので、自分が行けるチャンスはなくなった。
そして、フランクの家に寄ったら、泊まるところがなくてフランクの家に泊まった人たちがコーヒーを飲んでいた。朝の6時に寝て、11時には起きていた。これから、11時間運転しいてアルプスに帰ると言う人もいた。
マルセイユで新しい人間関係に翻弄されている時に、このような場に来るとホッとする。今日は朝昼晩と農家で地野菜、農家の鶏、豚肉、豚のソーセージを頂いた。
自分にとって、里帰りは癒しなのかもしれない。農家の家族も多くのハプニングを乗り越えて今がある。ここにかけない事、家族ないでも内緒にされている事が耳に入ってくることもあるし、なかなか、すさまじい。小説を書く能力があったらこの内容を小説に出来そうなものだ。
それを乗り越えて、一つの形になっている。
それに対して、みなさばさばしている。
自分もそのいざこざの中に入れてもらった事もある。しかし、こうやって突然訪れても大事にしてくれる事に感謝したい。この農家は自分にとってフランスで一番落ち着くところである。雨が降るとか、犬が吠えるとかと言う事を含めて好きなのである。
しかし、長続きする関係といったものはそういったものだろう。
短所を含めて好きになる。許す、許される。暖かい感情に浸れたノルマンディー訪問でした。