福島晋一「お高くとまるところがない」

Posted on: 2014.07.18

自分とツールドフランス。自転車を始めた時から憧れてきた。しかし、今は憧れの気持ちだけではない複雑なものがある。

先日、イギリスに行きツールドフランスを見てきた。幸也に借りたIDでビラージュの中に入ってコーヒーをもらったりサンドイッチを食べたり。ただ、自分の立場としては非常に微妙で心から楽しめたかと言えばそうとも言えない。

自分はまがいなりにもフランスのプロチームの監督である。キャラバンからお菓子を投げられて拾っている場合ではない。だからと言って、お高くとまるにしても、とまるお高いところがない。

ただ、レースにこんなに気楽に向かったのは久しぶりではあるが、やはり関わっていないとどこか物足りないのも事実である。ツールのオーガナイザーは、「ソシエテ・ド・ツールドフランス」である。今となっては中で働いている人に知り合いもいる。

数年前に社長が来て言った。「日本でグランデパーすることも考えている」と。そんなの無理に決まっている。いくらビジネス主義だからと言って、選手のコンディションや移動の事をを無視してそんな事をすればツールの格を落とす。

だいたい、時差が7時間もあるところからグランデパーをすることが不可能な事を一番知っているはずの社長が、そういう事を言うのである。

そして、去年の埼玉クリテで日本人選手に対する扱いがヨーロッパ選手とあまりに違う事に腹が立ってから、印象が悪いのは決定的になった。俺たちはタダ(ギャラがない)でも走らせてもらう事に感謝しなくてはならないのか?

ソシエテはビジネス主義でお金があるところに動く。そのソシエテから自分は全く相手にされていない。

当然である。

悔しいかな、自分のあこがれのレースから選手の時も含めて全く相手にされていないのであるが、こっちもソシエテにゴマをするのは癪なのである。

今、アルプスの合宿をしている。決して恵まれていない我がチームであるが、選手の一人は去年までソジャソンでツールを走っていた。今は練習の後は合宿所の前で自分とペタンクをして遊んでいるのである。

今日はトニーガロパンが勝った。彼はガロパンとコフィディスでチームメイトでツールも一回一緒に走ったそうだ。「いい奴だった」と言っていた。

どこの世界も同じだと思うが、入れ替わりは激しいのである。1回、参加する事も大変だが、参加し続けるのも大変だ。そして、参加し続けてツールを支えてきても一瞬にして「犯罪者」として追放されたりもする。

この世は本当に儚いもので、その儚さを全ての生き物は受け入れなくてはならない。永遠には続かないツールにゴマをするつもりはないが、何とかツールから一目置かれる存在になりたいものだ。

AUTHOR PROFILE

福島 晋一 ふくしま しんいち/岡山県出身 1971年生まれ。20歳からロードレースを初め、22歳でオランダに単身自転車武者修行。卒業後、ブリヂストンアンカーに所属し2003年全日本チャンピオンを獲得。2004年ツアー・オブ・ジャパン個人総合優勝、2010年ツールドおきなわ個人総合優勝。2003年から始めたチーム「ボンシャンス」代表に就任。2013年シーズンを最後に引退。JOCのスポーツ指導者育成制度でフランスのコンチネンタルチーム「ラ・ポム・マルセイユ」の監督として2年間の研修を経て、現在はアジアのロードレース普及を目指しアジアサイクリングアカデミーを主宰している。 アジアサイクリングアカデミー筆者の公式ブログはこちら

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