福島晋一「PPAP」

Posted on: 2016.11.17

有名になりたい心というものは、誰もが少なからず持っていると思う。ただ、それを表に出すか出さないか?

自分も自転車を始めるまでは、この世に名を残さずして死ねようかと考えていた。学研の科学の懸賞でボールペンが当たった時は今なら虫眼鏡がいる程小さい自分の名前が載った雑誌を見せて友達に自慢したものだ。

自分がエースであるときは、ほかの選手も応援してくださいなどと余裕ぶっておいて、逆にチームの中で自分よりも脚光がある選手が現れた時には少なからず、寂しい思いを感じるもの。

それを表に出すことの意味がないことに気づくのが遅かった。

自分は日本の中で強くなった時に、フランスでは自分の実力以上の選手が沢山いることでそして、その選手たちが自然体で生きていたことでバランスをとれてきたと思う。

先日、タイフーレイクが終わり、皆で簡単に乾杯をした。その日の朝、ダニエルコッリは「今日が俺の人生最後のレースになるかもしれない」と言いながらレースをスタートした。今年、ツールドトルコ、ノルウェー、チンハイ、チャイナと彼と連戦してきて自分の監督したレースの5勝のうち4勝は彼の功績が大きい。

康司の引退の時もそうであったが、自分の中で抑えきれないものが選手生命を吹き消すことはよくあるもの。それを生き様ともいえるし、性ともいえる。

もちろん、皆に祝福されての引退が一番いいが、自分の生き様を曲げてまで生き延びるのも果たして幸せなのかと思うときがある。

最近はフェイスブックで人に見てもらうために馬鹿なことをする輩が増えてきてまた、それを肯定する風潮がある。しかし、世の中でパイオニアになれる人数の数はごく一部で、残りはそのフォロワーに過ぎない。PPAPなどを見ると世の中で成功するパターンは無限にある事を証明している。

「有名になること」を人生の最大目標に掲げるのは間違っていると思うが、有名でないと出来ないことも実際多いのが今の世の中である。

AUTHOR PROFILE

福島 晋一 ふくしま しんいち/岡山県出身 1971年生まれ。20歳からロードレースを初め、22歳でオランダに単身自転車武者修行。卒業後、ブリヂストンアンカーに所属し2003年全日本チャンピオンを獲得。2004年ツアー・オブ・ジャパン個人総合優勝、2010年ツールドおきなわ個人総合優勝。2003年から始めたチーム「ボンシャンス」代表に就任。2013年シーズンを最後に引退。JOCのスポーツ指導者育成制度でフランスのコンチネンタルチーム「ラ・ポム・マルセイユ」の監督として2年間の研修を経て、現在はアジアのロードレース普及を目指しアジアサイクリングアカデミーを主宰している。 アジアサイクリングアカデミー筆者の公式ブログはこちら

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