栗村修「全日本選手権レポート」

Posted on: 2019.07.06

少し時間が経ってしまいましたが、改めて「第88回全日本自転車競技選手権大会ロードレース」について振り返ってみたいと思います。

◯コース
静岡県小山町にある富士スピードウェイ内特設コース。1周10.4km。富士スピードウェイのメインサーキット+敷地内の道路を組み合わせたテクニカルなコースで上り区間は3ヶ所。

ここを21周する全長227kmで総獲得標高は3,000m超。当初はスプリンターやパンチャー向きのコースと思われていたが、エリートの前の他カテゴリーのレースはすべてサバイバルレースとなっていた。

◯位置付け
通常の「日本チャンピオンを決める戦い」+「東京五輪代表選考対象レース」。但し、代表選考ポイントの係数は「0.5」と低く、女子エリートの様にこのレースの結果が代表選考に大きく影響するような状況ではなかった。

◯下馬評
パンチャー系の選手が優勝候補に挙がる。一方で、チームメイトのいない海外組はコース的に数的不利に置かれるのでは?とみられていた。

具体的には、別府選手(TREK/骨折明け)、新城選手(バーレーン/骨折明け)、伊藤選手(NIPPO)、増田選手(ブリッツェン/骨折明け)、鈴木龍選手(ブリッツェン)、岡選手(ブリッツェン)、窪木選手(ブリヂストン)、入部選手(シマノ)、小林海選手(ジョッティ)などの名前が挙がっていた。

◯レース前半
他のカテゴリーのレース状況をみていた有力チームや選手が1周目からスピードを上げてまずは力のない選手を排除していく展開となる。

国内の200km越えのレースは通常クラブチーム系の選手がアーリーアタックを試みることが多いが、そういった動きは封じ込められ、各有力チームのセカンドエースクラスがアタックを繰り返していく。結果、1周目完了時に出走152名に対してメイン集団の数は100名以下となり、その後もメイン集団の数は目に見えて減っていった。

◯レース中盤
いくつかの逃げが決まりかけるがすべての有力チームが納得した形にはならず、結果的にペースは上がったままとなって不安定な状況が続いていく。

そんな中、序盤から攻めていた徳田選手(ブリヂストン)がスピードの上がった状態からアタックを仕掛けると、長く続いた掛け合いに疲れをみせはじめた集団がようやくスローダウン。

シマノレーシングと宇都宮ブリッツェンがメイン集団を安定化させ、ようやくレースは「逃げ1名」+「50名ほどのメイン集団」という形に落ち着く。

◯レース後半
単独で逃げ続けていた徳田選手のペースが徐々に落ちていき、メイン集団は「まだ捕まえたくない」という思惑が見え隠れするものの、残り5周で徳田選手を吸収。

そこからアタック合戦が再びはじまる。新城選手が積極的に動き、常に先頭集団に入る走りをみせ、残り3周で早川選手(愛三工業)がスルスルと抜け出すと、それを新城選手、入部選手、横塚選手(チーム右京)の3名が追走。

すぐに早川選手が脱落して先頭は3名となる。最後の戦いに向けて補給を摂っている選手が多いタイミングで決まった3名の逃げは強力で、その後、小林選手、草場選手(愛三工業)、伊藤選手、鈴木譲選手(ブリッツェン)、湊選手(シマノ/先頭集団にいる入部選手をアシストするために抑え役)の5名が追走グループを形成するも、先頭3名との差は徐々に開いていき、優勝争いは完全に3名に絞られる展開となった。

映像でみる限りでは、新城選手が自らの意思で積極的に最も長く先頭を牽き(WT選手としてのプライドから)、入部選手も先頭を牽く義務をしっかりと果たし(ラスト1kmまでは先頭交代の拒否は一度もなかったようにみえた)、横塚選手も格上の二人を相手に臆することなく懸命にまわっていた。

最終周回の上りで新城選手がシッティングのままスルスルと加速すると、横塚選手がたまらず少し遅れ、それを確認した新城選手が腰を上げて本格的に加速すると横塚選手は完全に脱落。

横塚選手の脱落を確認した入部選手はすぐに新城選手に追いつき先頭は2名となる。新城選手が前を引く時間が長く、先頭交代の要求があれば入部選手も前に出る。

そして、フィニッシュに向けた最後の上りに突入すると牽制がはじまり入部選手が後方待機を選択。残り1kmを切って新城選手がアタックを繰り出すが入部選手が余裕を持って対応。

そして、ラスト150mで入部選手が一気にスプリントを開始すると、肘の骨折明けで新城選手のスプリントにいつものキレはなく、入部選手がそのままトップでフィニッシュして、見事、念願の全日本タイトルを手中に収めた。

◯個人的な感想
レースを観たひとたちには様々な感想があると思います。特に怪我明けで単騎で戦う新城選手が最も強く、更に誰よりも積極的に走っていたので、新城選手に勝って欲しいと願っていたファンは多かったと思います。

新城選手が日本人選手のなかで別格の存在であることは疑う余地はなく、今回も新城選手が一番強かったのは誰しもが認めるところでしょう。

一方で、入部選手も勝つべくして勝ったように思います。このレースに勝つために厳しいトレーニングを積み、シマノレーシングも入部選手を勝たせるために完璧にまとまっていました。

自分(シマノレーシング)が勝つためにはどうするべきかを考え、その上でチームメイトをつかってレースを積極的にコントロールし、コソコソすることなく、3名になってからも自分の先頭交代の責務を果たしていました。

ある意味で「予告ホームラン」的な立派な勝ち方だったといえます。

もし、彼に落ち度があったとするならば、レース後の記者会見で彼らしい弱気な発言をしたことぐらいでしょうか…(まるで謝罪会見みたいになっていました…)。

私は、今年のツアー・オブ・ジャパン京都ステージで入部選手が逃げ集団の先頭を牽きまくっている姿を目の当たりにしています。最終的に入部選手を含んだ3名が逃げ切りましたが、入部選手の強烈な牽きがなければ逃げ切りは難しかったでしょう。

そして、最後は正真正銘の「ツキイチ」のオーストラリア人選手に差されて入部選手はステージ2位に終わっています。それでも彼は表向きは文句を言わず、また、彼を同情するファンの数もそれほど多くありませんでした。

今回、入部選手は決して「ツキイチ」ではありませんでしたし、常識の範囲内でのレースマネージメントで勝利を手に入れたと感じています。

しかし、明らかに「ツキイチ」のオーストラリア人にやられたあのレースでは同情されなかったのに、今回は気の毒なくらいのネガキャンに一部晒されてしまっていました…。

ロードレースは時に理不尽さを露呈します。まるで人生を象徴しているかのようです。しかし、人生がプラスマイナスゼロであるように、きっと今回彼が遭遇してしまった理不尽さは、いずれプラスとなって返ってくるのだと思います。

今年のレースで表彰台に上がった3名は皆魅力的で尊敬できる選手たちです。とても良いレースを観れて、改めてロードレースという競技が好きになりました。

▶動画:選手のコメントで振り返る2019全日本選手権ハイライト

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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