福島晋一「遺るもの」
パンクしたリッチー・ポートがサイモン・クラークにホイールをもらって、別のチームの選手からの機材提供を受けたという理由で2分のペナルティーを科せられた事が話題になっている。
この話を聞いて、思い出すことがある。
2006年第2回、ツアーオブサイアム(タイ)に自分は参加していた。前年総合優勝したレースだったがスタート前にお腹を壊し、自分は3日間寝たきりだった。
治ったと思った時に食べたドリアンがとどめだった。寝込む兄をよそに康司はバンコクの街中を1日中走って、排ガスにまみれながら250kmのトレーニングをしていた。
第1ステージ、弟の康司がアタックして一人でずっと逃げていた。もうすぐ捕まるという時に自分が単独で飛び出して合流。そのあとも、ほとんど康司にひいてもらって2人で逃げ切り自分はステージ優勝した。翌日、自分は遅れてジャージは康司に渡った。
第4ステージだったか、崇史(宮沢)が二人で逃げて、チームで集団をコントロールしていたが、後半の登りでアシストがいなくなり集団には康司が一人になってしまった。
運が悪いことに、残り10kmの下りで康司がパンクした。その時に、当時シマノから参加していた土井選手が康司にホイールを渡してくれたのだった。
結局、康司はジャージを失ってしまったが、当時ペナルティーはなかった。崇史はステージ優勝した。康司がジャージを逃した事よりも崇史がUCIのレースで初めて優勝したことがうれしくて皆で乾杯したことを覚えている。
最終的に自分がこのレースは総合2位で終えた。このころのアジアのレースはどんでん返しばかりでなかなかおもしろかったのだ。
この時の話を今でも土井ちゃんと話をする。レースの結果はネットをたどらないと思いだせないが、あの土井ちゃんがあわてて康司にホイールを渡してくれていた光景は今でも自分の脳裏に遺っている。
当時の写真はこちら
http://www.cyclingtime.com/modules/myalbum/photo.php?lid=19027