福島晋一「遺るもの」

Posted on: 2015.05.21

パンクしたリッチー・ポートがサイモン・クラークにホイールをもらって、別のチームの選手からの機材提供を受けたという理由で2分のペナルティーを科せられた事が話題になっている。

この話を聞いて、思い出すことがある。

2006年第2回、ツアーオブサイアム(タイ)に自分は参加していた。前年総合優勝したレースだったがスタート前にお腹を壊し、自分は3日間寝たきりだった。

治ったと思った時に食べたドリアンがとどめだった。寝込む兄をよそに康司はバンコクの街中を1日中走って、排ガスにまみれながら250kmのトレーニングをしていた。

第1ステージ、弟の康司がアタックして一人でずっと逃げていた。もうすぐ捕まるという時に自分が単独で飛び出して合流。そのあとも、ほとんど康司にひいてもらって2人で逃げ切り自分はステージ優勝した。翌日、自分は遅れてジャージは康司に渡った。

第4ステージだったか、崇史(宮沢)が二人で逃げて、チームで集団をコントロールしていたが、後半の登りでアシストがいなくなり集団には康司が一人になってしまった。

運が悪いことに、残り10kmの下りで康司がパンクした。その時に、当時シマノから参加していた土井選手が康司にホイールを渡してくれたのだった。

結局、康司はジャージを失ってしまったが、当時ペナルティーはなかった。崇史はステージ優勝した。康司がジャージを逃した事よりも崇史がUCIのレースで初めて優勝したことがうれしくて皆で乾杯したことを覚えている。

最終的に自分がこのレースは総合2位で終えた。このころのアジアのレースはどんでん返しばかりでなかなかおもしろかったのだ。

この時の話を今でも土井ちゃんと話をする。レースの結果はネットをたどらないと思いだせないが、あの土井ちゃんがあわてて康司にホイールを渡してくれていた光景は今でも自分の脳裏に遺っている。

当時の写真はこちら
http://www.cyclingtime.com/modules/myalbum/photo.php?lid=19027

AUTHOR PROFILE

福島 晋一 ふくしま しんいち/岡山県出身 1971年生まれ。20歳からロードレースを初め、22歳でオランダに単身自転車武者修行。卒業後、ブリヂストンアンカーに所属し2003年全日本チャンピオンを獲得。2004年ツアー・オブ・ジャパン個人総合優勝、2010年ツールドおきなわ個人総合優勝。2003年から始めたチーム「ボンシャンス」代表に就任。2013年シーズンを最後に引退。JOCのスポーツ指導者育成制度でフランスのコンチネンタルチーム「ラ・ポム・マルセイユ」の監督として2年間の研修を経て、現在はアジアのロードレース普及を目指しアジアサイクリングアカデミーを主宰している。 アジアサイクリングアカデミー筆者の公式ブログはこちら

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