栗村修「JBCF白浜クリテリウム」

Posted on: 2014.04.20

本日、Jプロツアー第4戦の 『JBCF白浜クリテリウム』 が和歌山県の旧南紀白浜空港跡地で開催され、宇都宮ブリッツェンの大久保陣選手がスプリンターとしての才能を開花させ、メジャーレース初勝利を飾りました。


【photo(c):Hidenori.Nodera】

レース前半から宇都宮ブリッツェン勢は鈴木真理選手と大久保選手以外のメンバーが積極的に仕掛けまくり、前に向かうレースを展開するものの、逃げらしい逃げは一度も形成されずに大集団のまま集団スプリントへと向かいます。

レース中、殆ど前に出ることなく不気味に集団後方で息を潜めていたツアーリーダーのモラ(マトリックスパワータグ)が残り5周ほどでポジションを上げてスプリントの準備を開始するなか、宇都宮ブリッツェン勢はラストラップで鈴木真理選手が大久保選手のために向かい風区間で集団を牽引し、大久保選手は最終コーナーをトップで周ります。

そしてそのまま勇気を持ってゴールまでの直線を一気に先行して見事勝利を収めました!

これまで、パワーメーターの数字などでは優れたスプリンターであることが証明されていた大久保選手でしたが、勝利という結果に辿り着くのに若干手こずっていたものの、ようやく彼の才能に結果が追いついてきたといえます。

ゴール後、シマノレーシングでメカニックを務める父親の前でポーズをとる大久保選手の写真(野寺監督撮影)を見て、大久保選手の笑顔以上に、大久保メカの表情が気になってしまいました。

野寺監督曰く…

『ゴール後、大久保さん(父)はいつも以上に仏頂面でしたよ…』

私もかつてシマノレーシングで選手やスタッフとして大久保メカには大変お世話になってきたので、クールダンディの大久保さんが本当は息子の勝利を心の中でとてつもなく喜んでいるのがよくわかりました。

私がシマノレーシングで選手だった時にはまだ8歳だった大久保選手(実際に堺で小学生だった大久保選手に会っている)がこうやってメジャーレースで勝ったことに、なんとなく国内レース界にも歴史が生まれつつあるんだな~ということを感じました。

戦いは続いていき、そしてまた新たな歴史が生まれていくのでしょう。

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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