三瓶将廣「すべては自分の力で決まる=自転車#2」
自分の力で勝負が決まるBMXレース。その魅力にハマったのが5歳の時。それ以降、家族の生活はBMX1色に染まっていった。
週末は練習環境を求めて各地のレースコースへ行き、平日は友達と遊ぶ約束をして下校しようとするものの、小学校の校門の前には車が待機!そのまま強制連行されて1時間離れたジャンプトレイルに直行して練習。その後塾に行き、帰宅後は公園で木製ジャンプ台を使ったジャンプ練習。
雨の日は、アメリカからわざわざ輸入したスタートゲート練習機が自宅に用意された。両親は必死になって息子たち(兄弟2人、弟:貴公)の練習環境を整えてくれていた。そんな両親の姿は記憶にあるが、この時点で僕が毎回真剣にやっていた記憶はあまりない(笑)。
新しいジャンプに挑戦するのが怖くて、何時間も考えたあげく1回挑戦して転倒、そして即帰宅。時には怒られることもあった。自走での帰宅命令が出されるものの、道が分からず自動車専用バイパスを走りヒヤヒヤしたこともあった。
弟(貴公)のジャンプを右端で見る兄。当時はジャンプが苦手だった
こうして、小さい頃からBMXを通してたくさんの経験を積んだことで、色々な楽しみ方を発見していった。勝敗を競うだけでなく、いろいろな楽しみ方が出来る。そんなところもBMXの魅力の1つだと思うようになった。
徐々に実力もつき、7歳で初めて出場した全日本選手権大会で優勝!そして、その勢いで大好きだった自転車ブランドGTの展示会に行き、社長さんに「僕のスポンサーになってください!」と直訴しにいった。照れ屋の僕には、そうとう勇気のいる行動だった。それでもじ〜っとタイミングを見計らい、意を決して自分の気持ちを伝えた。
1997年全日本選手権優勝 岩手大会
翌年、契約書が自宅へ届き、大喜びしながら難しい文章を読んだことを今でもはっきり覚えている。結果が出たことにより自分のことを認めてくれたのだ。それ以降、優勝の喜びや、全国の仲間たちと戦える大会の楽しさ、そして応援してくれる人がいることを実感出来るようになった。そして「速くなりたい、うまくなりたい、僕が勉強以外にやることはBMXに乗ることだ!」という気持ちを強く心に刻むこととなった。
チームGTジャパンに入り、チームメイトになった赤城選手と記念撮影
BMXレースは5歳からカテゴリーが設けられ、幼稚園生から世界に挑戦できる自転車競技だ。僕が初めて世界選手権代表に選出されたのは1998年のオーストラリア大会。初めて全日本選手権を制した翌年の8歳の時だ。
北半球と南半球の違いもわからず、半ズボンで真冬のオーストラリアに行き、お風呂の排水溝に流れる水の渦が逆回転になっていることに興奮していた。そんな右も左もわからない少年が初めて出場した世界選手権。その舞台で受けた数々の衝撃こそが、僕のBMXレースへの情熱を支え続けることとなった。
出場選手は、ビデオや雑誌で見る憧れの選手ばかり。その選手たちの速さに目が点になった。見たことのない足の回転に、テクニック。大きなジャンプを楽にこなし、エンジンがついているのかと思うほどの速さ。憧れが一気に目標へと変わっていった瞬間だった。
余談だが、その大会で最高峰、男子エリートクラスで優勝したフランス人のトーマス・アリエーは、現在ワールドサイクリングセンター(WCC)のBMXコーチを務め、現全日本チャンピオン長迫吉拓のコーチでもある。
初出場の世界選手権で衝撃を受けたワールドクラスの実力。しかし、僕が受けた衝撃はこれだけでは終わらなかった。僕が出場したのは8歳クラス。4位までが決勝へ通過できる準決勝まで勝ち進んだものの、ホイル半分届かず5位。僅差で負け、悔しさがこみ上げると同時に世界の壁を痛感することとなった。
そんな僕にさらに追い打ちをかける大事件が起きた。それは6歳以下クラスで出場した弟、三瓶貴公(タカマサ)が決勝へ進出し、なんと3位に入賞。僕より先にワールドゼッケンの獲得に成功してしまったのだ。
弟貴公 世界選手権3位!
それまで弟には成績で負けたことがなかった兄マサヒロ。屈辱を味わうと同時に、闘争心に火をつけられる事となった・・・。
そこから「弟を超える!」挑戦が始まったのだった!
#3に続く。
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