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三瓶将廣「すべては自分の力で決まる=自転車#6」

Posted on: 2013.10.01
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13歳、中学1年生で念願だったアメリカ本国のファクトリーチーム「STAATSチーム」に加入した翌年の2004年。僕は拠点をアメリカに移して、本格的にナショナルシリーズを回ることとなった。そしてその年に手に入れた経験こそが、僕のBMXレーサーとしての礎となった。

ー立ちはだかる英語の壁

2004年2月。僕が拠点に置いたのはアリゾナだった。STAATSチームの1人が快くホームステイを受け入れてくれたからだ。しかし、2か月間の滞在中、家族全員がそれぞれ忙しく、1人で過ごすことも多かった。

当時は、全く英語が話せなかった僕だったが、それでも練習はしなければならない。1人でもトレイルに出かけ、レベルアップをはかるために懸命に汗を流した。

ある時、一人で練習をしていると着地に失敗してサドルが折れてしまい、立ちこぎで帰宅。 ホームステイ先のお母さんに状況を説明しようとしたが、英語がまったく通じない。

英語で「サドル」という単語がわからない僕は、「イスだから・・・チェアー!」だと閃き、必死に伝えた。しかし、それも全く通じない。

その後、「サドル」は英語で「シート」ということが分かったのだが、その時の恥ずかしさと悔しさが、僕に辞書を持つことを強要し、その後英語に一気に慣れていくこととなった。

英語に慣れたことで生活へのストレスは減り、徐々に競技へ集中できるようになってきた。そして、その年の5月、当時エリートライダーだった西岡拓朗選手(現:競輪選手)と再びアメリカへ渡った。

ー大きなステップとなった「STAATSサマーツアー」

渡米の目的は、全米を横断する「STAATSサマーツアー」への参加。大型トレーラーに乗り込んで、カリフォルニア州からスタート。20州を通過して8回のナショナルレースに参加。その間に10回以上のクリニックを開催した。

共にツアーに参加したメンバーは、北京オリンピック銀メダリストのマイク・デイをはじめ、元世界チャンピオンで当時No1プロだったロバート・ディ・ウィルデ。さらには世界一の選手層を誇るアメリカでオリンピックの代表権を勝ち取ったアリス・ポストとアリエル・マーティンといった憧れのスーパースターたちばかりだった。

そんなメンバーと毎日を過ごすことで、スター選手に臆することもなくなり、知り合いもドンドン増え、たくさんの経験を重ねていくことができた。

そしてツアースタートから2ヶ月。ナショナルレースでも成績を伸ばし、経験、実力はもちろん、自信を身につけた僕はオランダへ向かった。その目的は、世界選手権への出場だった。

ー自信をつけて望んだ世界選手権でまさかのハプニング

その年の大会は、それまでの世界選手権とは自分の中で違った意味合いを持っていた。それは、STAATSが大会スポンサーになっていた大会であり、アメリカチームの1員として乗り込んだ大会でもあったからだ。

しかし、そんな肝心な大会で、僕の荷物は現地に一つも到着せず、Tシャツ1枚で1週間待ちぼうけをくらった。大会1週間前に行なわれた本番用のコースを使用したプレレースにも参加できず、ライバルたちがレースに出てコースに慣れていくのをもどかしい気持ちで毎日見ていることしか出来なかった。

そのような状況のなか、僕は過ぎていく時間を無駄にしてはいけないと思い、焦る心を抑え、必死に時間を費やしたのがイメージトレーニングだった。この時、気持を切り替えてイメージトレーニングを続けたことが、この後の大きな結果に繋がっていくとは、その時は考えもしていなかった。

大会の週になり日本チームが到着し、スペアバイクが僕の手元に届いた。ウェアやヘルメット、シューズなどはヨーロッパでSTAATSの代理店をやっていた、リアム・フィリップス(2013世界チャンピオン)のお父さんが手配してくれたお陰でようやくレースの準備が整った。

ちなみに、自分のスーツケースが届いたのは大会前夜のこと。遅すぎるスーツケースと自転車の到着だったが、周囲のサポートにより、この時点で既にレースに集中することはできていた。

ともあれ、練習はほぼできていない状況に変わりはない。出来ているといしたらイメージだけだった。

ーイメージトレーニングが生んだビッグリザルト

結果をださなければいけない特別な世界選手権。その状況の中で思い描いていたイメージが大きな結果を生むこととなった。ここまでの鬱憤を晴らすかのように初日に行われたクルーザークラスでは予選からぶっちぎりで1位。

自分でもビックリしながら決勝へ進むも、スタート前から、まったく負ける気がしなかった。2ヶ月間、アメリカのナショナルレースで鍛えられたメンタルと自信はしっかりと身になっていると実感した。

ミス無くスタートからトップにでた僕はそのまま優勝を勝ち取った。日本人としては、初の世界チャンピオン。それでも、その後20インチクラスのレースが控えている僕は、ここで気を緩めることはけしてしなかった。

しかし、翌日に行なわれた20インチクラスは、クルーザークラスのような簡単なレースにはならなかった。当日にスペア自転車から乗り換えたこともあり、他の選手がクリアしているセクションを上手くこなせないでいた。

ー不安を払拭したアドバイス

急激に押し寄せる不安や焦り。結果を出さなければいけないと考えれば考えるほど、その気持が膨れあがっていった。そんな状況を察したのか、STAATSの社長ジェイソンから神のような言葉をいただいた。

それは「速い方法で失敗するより、普通に行って成功した方が速い」ということだった。

たしかに直前まで練習をこなしていたライバルたちの真似をしても失敗を招くだけ。気持ちを切り替え、正攻法でミスを減らすことにフォーカスすることで、一気に気持ちが晴れていった。

その後、準々決勝、準決勝とアメリカでも勝てなかったライバルたちを抑えて勝ち進み、ついに決勝まで駒をすすめることに成功した。

迎えた決勝。僕のスタート位置は大外の8コース。不利な状況にも関わらず、ここまで勝ち進んできた自信が、僕に不安を感じさせることはなかった。

しかし、スタート後、前に出きれず2位でレースを展開。先頭の選手を交わすチャンスを伺うが、なかなか見当たらず、そのまま最終バームを迎える。

「オーストラリアが勝ちます!」という会場のアナウンスが耳に入る。しかしその瞬間、僕の視界に1本のラインが浮かび上がった。身体は勝手に動き、インサイドを攻める。

トップの選手を交わすと、その後はゴールまであっという間だった。ついに世界チャンピオンの座を手にしたのだ。

1998年に弟が世界選手権で3位表彰台にあがり、悔しさの中で「弟を超える」ことを目標に続けてきた世界挑戦だったが、ついにその目標をクリアした。しかも、ダブル世界チャンピオン。2クラス制覇という完璧な形で幕を閉じた。

終わってみれば、超えるべき壁は弟ではなく、自分自身を超えることにあったのかもしれない。結果を恐れず、アメリカに飛び込んで手にした自信が、最高のサポート環境と結果に繋がっていったからだ。

ー世界経験から得たこと

この年に得た数々の経験を経て、日本人選手たちが世界にあと1歩届かない最大の理由はビッグレースでの場数だと改めて思った。

世界選手権後、念願のW1ゼッケンを付け凱旋帰国を果たした僕は、全日本選手権で特別昇格を果たし、異例の14歳でのエリートクラス参戦となった。そうした中で、日に日に世界チャンピオンの実感がわいてくることとなった。

この年、僕の全米ランキングは2万人中36位というリザルトを残した。

こうして世界に挑戦することはすごく勇気がいることだ。それでも、僕が夢を見続けてきたように、多くの子供達がBMXに夢や希望を抱ける環境になって欲しいという思いは年々強くなっていった。

そうした中、僕が世界各地で経験したことを伝えることで、そのハードルを少しでも下げてあげることはできるかもしれない。

もちろん実際に動くのは選手本人だが、きっかけをつくることはできる。そう願い、この時に得た知識や経験を10年たった今、日本中に伝えていきたいと思い、今の活動につながっている。

続く

【世界選手権クルーザー動画】
http://88.198.11.49/other/show_news.php?subaction=showfull&id=1264877850&archive=&template=Headlines

【世界選手権20インチ動画】
http://88.198.11.49/other/show_news.php?subaction=showfull&id=1264876858&archive=&template=Headlines

【過去の記事】
三瓶将廣コラム#1
https://www.cycloch.net/2013/04/24/7646/
三瓶将廣コラム#2
https://www.cycloch.net/2013/05/09/8464/
三瓶将廣コラム#3
https://www.cycloch.net/2013/05/28/10520/
三瓶将廣コラム#4
https://www.cycloch.net/2013/06/15/10648/
三瓶将廣コラム#5
https://www.cycloch.net/2013/07/25/11507/

AUTHOR PROFILE

三瓶 将廣 さんぺい まさひろ/川崎市出身。プロBMXライダーであり、一般社団法人SYSTEMATIC BMXの代表を務める。5歳からBMXレースを始め、中学校入学と同時に拠点を海外へ移し、これまで17年間18カ国にて、レースに取り組んできたライダーである。全日本選手権3連覇、2011年アジア選手権優勝。日本を代表するプロライダーの一人。現在、ライダー業の傍ら、BMX/自転車普及活動を目的に、一般社団法人SYSTEMATIC BMXの代表としても活動している。 筆者の運営する公式サイトはこちら

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