福島晋一「暇つぶし」

Posted on: 2014.02.18

ツールドメヂテラネアンが終了した。レースはBMCのカミングスが総合優勝。フランス人のジャン=クリストフ・ペローが最終ステージのモンファロンを制したが4秒足りなかった。

残り200m。なぜ、チームメイトの写真がないか?

それはこの写真を撮った後、自分はチームのカミオンの鍵を持っていたのでカミオンまで全力で走らねばならなかったからである。

ラポムとしてはアントマルキの26位が最高。総合ではレミーの29位が最高。今回はスプリントでベンジャミンが数回、着に絡んだが思う成績は残せなかった。

そこで感じることはもちろんチームとしては勝たなくてはならない。そして、勝つことは不可能ではない。

しかし、このレベルで勝つことは本当に難しい事だ。

今回勝てなかった事がすべてではないが、勝てなかった事を真摯にとらえて、勝つべくして勝つチームにしなくてはならない。

正直言って、チームの雰囲気は良くなかった。他のチームも良くないチームはいくらでもある。しかし、そんなことは関係ない。

それにしてもスタッフと言うものは地味な作業だ。昨日は監督が4人いたので、自分は先回りして頂上で選手の着替えを持って5時間集団が来るのを待った。

最初は天気が良かったので素晴らしい景色を見ていた。カメラで空間を意識して取ろうと思ったがなかなか難しい。

山を見ながら信州の山の事を思い出していた。その内、霧に覆われて気温も下がってきた。

車の中で寝ていたらフレドリックが来て
「寝ていたんか?」と聞くので
「寝ていた」と答えた。

そりゃ寝るでしょ。

スピーカーのマンジャスに手を振ると「シンイチフクシマがレミーディグリゴリオの勝利を祈っている」とアナウンスしてくれた。

それは訪れなかったが、カフェで昔のニューカレドニアの6日間レースの観客に声をかけてもらったり、やはり、選手をしていて良かったなと思う時もあった。

10年前のレースを良く覚えているものだ。

AUTHOR PROFILE

福島 晋一 ふくしま しんいち/岡山県出身 1971年生まれ。20歳からロードレースを初め、22歳でオランダに単身自転車武者修行。卒業後、ブリヂストンアンカーに所属し2003年全日本チャンピオンを獲得。2004年ツアー・オブ・ジャパン個人総合優勝、2010年ツールドおきなわ個人総合優勝。2003年から始めたチーム「ボンシャンス」代表に就任。2013年シーズンを最後に引退。JOCのスポーツ指導者育成制度でフランスのコンチネンタルチーム「ラ・ポム・マルセイユ」の監督として2年間の研修を経て、現在はアジアのロードレース普及を目指しアジアサイクリングアカデミーを主宰している。 アジアサイクリングアカデミー筆者の公式ブログはこちら

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