福島晋一「レミーの災難」

Posted on: 2014.01.14

監督とメカと3人で練習に行く予定だったがオーバーニュを出たところで巨大な集団が前方から来る。フレドリック監督の一声でUターンして合流する事に…

この練習会は毎週日曜日に誰でも参加できるもので8kmの周回を10周で争われる。実際、アタックがかかったり追ったり。

長方形のコースを走るのであるが右側通行のフランスでは時計回りに走ると常にイン側を走れるという事で信号のないコースを80人ほどの選手が走っている。ノンヘルあり、ジュニアあり、おじいさんあり、女子選手も混じっていてなんでもありではある。

12月と1月に催される練習会は12月は8周。1月は10周。最後は周回の中にある登り坂を使ってゴールスプリントが催される。

自分も2週間自転車に乗っていなかったが。集団の中を走れる事が嬉しくて、一度逃げてみた。メカのレミーは4カ月自転車に乗っていなかったそうであるが、自分が逃げている間に千切れて家に帰って行った。

今日はゆっくり走る予定であったがフレドリックの一声でこういう事になり、自分は最後のゴールスプリントに参加して15位ぐらいでゴールした。それにしても、アウトローな練習会であったが数に圧倒されて誰も文句を言えない状況。

やはり、自転車を取り巻く人数の多さは世の中を変えられるのだと感心した。

たとえば、箱根駅伝で重大な事故があっても伝統的なこの大会はなくならないだろう。しかし、これがロードレースだったら、なくなるかもしれない。核となる人間の情熱と取り巻く人数の多さが不可能を可能にする。

交通量がすくなくないマルセイユでもこんなイベントが行われていることに感心した。どこからともなく、集まったサイクリストは、ゴールすると、どこへともなく散って行った。いや、ゴール前から増えたり減ったり。

ゴール後は同じく参加していたチームメイトのベンジャミンとトーマとコーヒーを飲んで帰った。彼らのお気に入りは、水つきコーヒー。明日からチームの3回目の合宿が始まります。

コルシカ島で予定されていた合宿であるが、コルシカへ渡る船会社の経営状態が思わしくない為、場所を変えてカンヌで行われる事になりました。

詳しくはのちほど

AUTHOR PROFILE

福島 晋一 ふくしま しんいち/岡山県出身 1971年生まれ。20歳からロードレースを初め、22歳でオランダに単身自転車武者修行。卒業後、ブリヂストンアンカーに所属し2003年全日本チャンピオンを獲得。2004年ツアー・オブ・ジャパン個人総合優勝、2010年ツールドおきなわ個人総合優勝。2003年から始めたチーム「ボンシャンス」代表に就任。2013年シーズンを最後に引退。JOCのスポーツ指導者育成制度でフランスのコンチネンタルチーム「ラ・ポム・マルセイユ」の監督として2年間の研修を経て、現在はアジアのロードレース普及を目指しアジアサイクリングアカデミーを主宰している。 アジアサイクリングアカデミー筆者の公式ブログはこちら

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