砂田弓弦「撮影について」
自分の仕事のことをお話しします。
1927年から毎年開催されているロードの世界選は、1995年までアマとプロに分けられていたものが、1996年からエリートとアンダー23という年齢を基準とする分類に変えられました。
また1996年に開催されたアトランタ五輪から、それまで不可能だったプロ選手の出場が可能になりました。
つまり1996年以降、自転車界ではプロとアマという言葉がなくなったわけで、それは大きな変革でした。
しかし、人々の間にはプロとアマの区別が定義としてではなく、イメージとしてまだしっかりと残っていて、日常でも頻繁に使われています。実際、イタリアやスペインの新聞はいまだに「明日がプロのレース」という書き方をすることもあります。
僕がやっている写真を撮る仕事で、「プロのフォトグラファー(カメラマン)」という言い方が良くされます。実際のところライセンスはないので、「私はプロとしてやっています」と宣言すればそれでOKです。ただし、周りがその人のことをプロとして認めるかどうかは別問題ですが。
僕は自転車の写真を撮り、それを売る仕事を始めて23年が経過しましたが、この仕事をはじめるとき、心に決めたことがありました。それは、
「好きなことをするなら貧乏でもいい」ではなく、
「好きなことをするけど、金もちゃんと稼ぐ」ということでした。そこがアマとプロの線引きなのではないかと考えるのです。
カメラにメモリーカードやフィルムが入っていなかったり、電池が切れていたりするとなにも写りませんが、そうでなければ、シャッターを押せば何か写っています。
だから、写真を撮る事自体はとても簡単で、そして楽しいことです。写真を趣味として選ぶのはとてもいいと心底思っています。実際、自分の娘が高校のクラブ選択で迷っているとき、写真クラブを勧めてその通りになりましたが、同好の士を得た気持ちになりました。
趣味で写真をやっている人の中には、ものすごく上手な方が本当に多くいます。写真雑誌のコンテストなどを見ると、正直言って圧倒されることがしょっちゅうです。
ところが、写真を売ってお金を稼ぐとなると、話はまったく違ってきます。フォトコンテストの写真に圧倒されながらも、これを誰が買うかと仮に考えた場合には、話は別の方向に行ってしまうのです。
良い写真を撮ったら誰かが買ってくれる・・・、実際はそんな甘いものではありません。販路を切り開くには出版なり広告の方面で営業も必要ですし、自分の作品をアピールすることも大切です。
自分の仕事において、シャッターを押すという行為がどのくらい占めるかというと、わずかです。それよりもレースのオーガナイザーへの取材申請や現場での移動や宿泊の手配、オートバイの運転手の確保、撮影機材の保守や管理などに時間を取られます。さらに出版社との打ち合わせ、ときには講演など、写真を撮る以外の仕事が山のようにあります。
こうした写真を撮るための準備、それから撮った後の金の回収があって、初めて撮影の仕事が回って行くのです。
さらに、自転車競技では取材や出版の実績などから、ランク付けも行われます。ゴールラインのところに立てるかどうか、あるいはオートバイに乗ることができるかどうかなどが決められるのです。
もう10年ほど前ですが、日本の某有名カメラマンがトラックの世界選手権にアシスタントや広告代理店、テレビクルーなどを連れてやってきたことがありました。
でも取材申請書を出しておらず、その結果、トラックの中にも入れませんでした。たとえ申請書を出していたとしても、取材実績や掲載の内容が問われますから、入ることはできなかったと思います。
それから大きなロードレースになると、前日の夕方にカメラマン会議(下写真)があるのですが、会議は現地語とフランス語で行われるのが普通です。自転車の公用語はフランス語なので、ある程度フランス語が分かる必要もあるわけです。
機材に関してもあえて言わざる得ません。というのは、フィルムのカメラは壊れない限りずっと使えたのですが、デジタル機材の進歩は非常に速くて、今は3、4年でボディやパソコンを買い替えます。不幸なことに昔の機材=質が悪いというのは紛れもない事実です。新しい機材はお金がないと当然買うことができないので、
金欠になる→カメラやパソコンといった機材が買えない→写真自体の質や処理のスピードが落ちる→仕事が回らない…。つまり心肺停止となるのが偽らざる現状です。
そして、仕事は継続して行かなければなりません。もっとも有名なツール・ド・フランスの取材だけで食べて行けるはずもなく、自転車のフォトグラファーと呼ばれるには、年間を通して何年も継続してやって行かなければクライアントがつきません。
つまりプロの写真の裏には、見えないかもしれないけれど、膨大な時間と金がかかっているのです。
今、写真を撮るということについていうと、アマとプロの垣根がどんどん低くなっている感じがします。文章も同じことです。
昔、写真を撮るということは、庶民の娯楽とは決して言えなかったと思います。春の遠足を撮ったフィルムが、そのまま秋の運動会までカメラの中に収まっていたという人が少なくなかったでしょう。
ところがデジタルになって、フィルム代がかからなくなり、誰もが気軽に撮れるようになりました。これはとてもいいことです。
また、書いた文章を人に見てもらえる機会も格段に増えました。今はホームページやブログといったものが自由に持てるので、自分が書いたものを不特定多数の人に見てもらえます。昔は自分の書いたものが公の場に出ることなど、ほとんどなかったと思います。
これらの写真や文章の自由化は文化の点で非常に良いことだと思うのですが、お客様に写真や文章をお金で買っていただくということのになると、話はまったく別です。実際にはアマとプロの垣根は低くなっていないのに、低くなったように錯覚してしまうのです。
「写真を雑誌で使ってほしい」という人がときどきいるのですが、ついつい
「趣味でやられた方がいいですよ」と言いたくなることがあるのも、上記の理由からです。
自分の仕事のことを例にしましたが、洋の東西を問わず、あらゆる分野の職人がどんどん減って行く傾向にあると思っています。
自転車の選手も職人と同じことで、チームに雇われていますが、実態はフリーランスです。契約は短くて単年、長くてもせいぜい2、3年で、ちゃんと走れなくなれば雇用してもらえません。僕のいるフォトグラファーの世界、あるいはライターの業界と同じです。
ヨーロッパにはプロのロード選手がたくさんいますが、逆にこの厳しい部分を良く知っていて、実力がありながらもあえてアマチュアに残って、半分趣味でやっている選手だって少なくないのです。
最初にプロとアマの違いを書きましたが、写真の撮影自体はとても楽しいことです。かた苦しい話はなしにして、撮るのを楽しむのが何よりです。
僕の仕事での基本的な撮り方を説明します。
ワンデーレースの場合は当然チャンスが少ないわけですから、とにかくレースの状況説明的なものを撮ることに徹します。風景を撮る余裕はあまりありません。
反対にステージレースでは撮るチャンスが多いですから、ロードレースの大きな魅力である風景絡みの写真を撮らない手はありません。
でもたとえワンデーレースでも、レース前半に良い風景があったら、これはもう撮ることになります。なぜなら、前半はそんなに重要な、つまり勝利につながるような攻撃が少ないわけです。
それに前半は大集団が崩れないことが多いのですが、風景絡みの写真は、大集団の方が断然かっこいいのです。すばらしい風景の中を、選手がぽつんと単独で写っているよりは、選手たちがプロトンを形成して山をバックに、あるいは見渡す限りの花畑の中を走っている方が絵になります。
レースが佳境に入ったら選手に寄ります。でも、選手が苦しんで走っているのをアップで撮るのは、決して簡単ではありません。他の選手の陰になったり、観客に妨害されたり、思うようにはなかなかなりません。
しかし、山場なんかでは、あえて周りの観客を入れながら、若干広めの画角で撮ることもあります。
緑と赤と白の旗がはためいていれば、それはバスクからの応援団。スペイン近くのレースでしょう。また黄色の旗で、ライオンみたいな動物が火を吹いている旗がいっぱいあれば、ベルギーのフランドル地方からのファンがビールをラッパ飲みしながら応援しているのが目に浮かびます。
観客の中にランニングや裸で応援するおじいさんがいれば、これはもうイタリアそのものです。田舎のバールに昼間からたむろっている年金生活の人に違いありません。
つまり、選手と共に回りのものを入れることによって、時代や人々の風習、あるいは国自体を写せるわけです。
そして、そのときはあまり意味がないように見えても、時が経つとそれがすごく意味深いものになってくることもあるわけです。
ジャパンカップで写真を撮るのも面白いです。観客が若い! 茶髪がいっぱいいる! カップルでレースを見に来ている! ヨーロッパは、観客の半分が腹の出たおじさんや、ぶくぶくに太ったあばさん(失礼!)ですから、実に新鮮です。
それから最後に機材のことについて一言。一眼レフでスポーツを撮っているプロのカメラマンは、ニコンかキヤノンに二分されるのですが、僕は後者の方です。ですから、キヤノンのことについて書きますが、レンズは17-40mm/F4の広角ズームと、70-200mm/F4の望遠ズームを1本持っていれば、ロードレースの90%が撮れると思っています。
(不幸にも)のめり込んでしまった場合には、300mm/F2.8通称サンニッパの購入もいいでしょう。定価で75万円もしますが、その画質はやはり非常によく、お金を出すだけの価値はあると思います。
砂田弓弦(すなだ・ゆづる)/1961年富山市生まれ。法政大学卒業後、イタリアに渡り、フォトグラファーとなる。現在は日本とイタリアの間を頻繁に行き来しており、ミラノにオフィスを構えて、自転車競技を中心に撮影をしている。その作品はイタリア、フランス、イギリス、アメリカ、オーストラリア、日本をはじめとする多くの国のメディアに掲載されているほか、内外の広告の分野でも定評を得ている。
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