ランニングバイク連盟「ランニングバイクから次のステップへ!チビリンピックでライバルと共に表彰台」

Posted on: 2015.08.17

37年の歴史を持つ「チビリンピック」は、毎年、5月5日の「こどもの日」に開催されています。オリンピアンをはじめ多数の有名アスリートがスペシャルゲストとして参加し、テレビ局の取材も入る日刊スポーツ新聞社が主催する大きなスポーツイベントです。

今年、この大会の中で50m走の種目にランニングバイクで大活躍をしていた2人の子供達が出場し、優勝と3位という結果を出しました。

一人は、川崎進太朗君。もう一人が古林翔磨君です。進太朗君と翔磨君は、同じランニングバイクチームのメンバー同士でありながら、様々な大会で優勝争いを繰り返す好敵手同士でした。


(写真左)古林翔磨君、(写真右) 川崎進太朗君

—■財産は友達の輪。ライバルと共に成長した川崎進太郎くん

川崎進太朗君は2歳の時、はじめてストライダーカップに出場し、このレースが川崎家を大きく変えることになります。

進太朗君の父である川崎敦さんは『予選で負けると思っていたのが、なんと1位でゴール。続く準決勝、またもや1位でゴールしました。「あれれ?…まさか、うちの子は速いのか…。」決勝前にある雑誌の方に「間違いなく優勝するから今のうちに取材させて欲しい」と言われ、親は完全に有頂天になりました。(笑)

迎えた決勝、昼寝後だったため散々な結果となりましたが、子どもは「楽しかった、またやりたい。」と、次にむけてやる気満々でした。

「親は子に「負け」を経験させたかったはずが、親が勝つ喜びを知ってしまうことになりました… 。この後、数々のレースに出場しますが、このレースが全ての始まりです。」と敦さんは振り返ります。

進太郎くんのお父さんは、レースに参加した当初の目的は「負ける経験をさせたい」という思いだったようですが、その後、進太朗君は数々のレースで優勝。向かうところ敵無しという状況の中、古林翔磨君との出会いが、進太朗君に決定的な「負け」を経験させてくれる存在が現れます。

敦さんは、『「負け」を経験することにより、そこからどうするかを学ばせたい。これが我が家のレースでの思いです。翔磨君とは勝ったり、負けたりの切磋琢磨できるありがたい存在です。』と語ります。

—■諦めない心を学んだ古林翔磨君

川崎進太朗君の好敵手であり、チームメイトの古林翔磨君も、2歳の時にサンタからのクリスマスプレゼントでランニングバイクを始めます。初めは怖くてバイクに乗れず。押して歩くことしかできず、その後、全く乗らなくなってしまったと言います。

その後、3歳の頃にカーズの映画やマリオカートをきっかけに車やレースに興味が出て来た翔磨君。毎日、カーズトミカを走らせる生活だったところ、ストライダーのレースに一緒に出ようという誘いがあり、4歳の時に初めてレースに参加。鈴鹿サーキットで開催されたレースでした。

翔磨君のお父さん、古林隆弘さんは『初めてのレースは予選敗退ながらも初めて友達と走る喜びで、目が輝いていました。結果よりも必死で走る子供たちのスピード、それを応援する親の熱意、様々なカスタム…今までに見たことのない世界がそこには広がっていました。

こんなすごい子供たちがいるんだ!そしてこんなに子供に熱くなれる親がいるんだ!初めてのレースは驚きと感動の入り混じった日となり、この日から息子のランニングバイクレースが始まりました。』と語ります。

翔磨君は、次に参加したレースで決勝に進むも惨敗。泣きながらゴールし「もっと速くなりたい!」と口にします。

隆弘さんは、そんな翔磨君に応えようと毎日親子で練習する日々を送ります。親子が一体となり、今まで平凡な日々を送っていた古林家は急速にランニングバイク中心、翔磨君が中心の生活に変わっていきます。

そして、3回目のランニングバイクレースに参加した際、進太朗君と出会います。レースは、進太郎君が優勝で、翔磨君が準優勝。その後、参加する大会でもなかなか進太朗君に勝てない翔磨君は、「速くなりたい」から「いつか優勝する」という堅い決意に変わりました。

努力を続けた翔磨君は、とうとう優勝を勝ち取ります。そして、続く大会でも優勝。

隆弘さんは、『ランニングバイクを通して、何事も最後まで諦めないで努力をすれば必ず目標は達成できること、挑戦する気持ちを持つこと、たくさんのかけがえのない出会いがあったことが我が家にとっての収穫です。

また、精神面、体力面の成長だけでなく多くの方と知り合い、声援を送ってくれる仲間ができたことが とても嬉しく、ランニングバイクをやっていなかったら味わうことのできなかったことだと感じています。』と語ります。

ー■新たな世界、チビリンピックで大活躍

小学生になり、レースも少なくなった頃、進太朗君は、チビリンピックと出会います。ランニングバイクとは違う世界を見る、絶好の機会ということでエントリーを決意。

さらに同じく翔磨君も、ランバイク仲間にチビリンピック出場を誘われ出場します。小学校の運動会前だったこともあり、学校でかけっこの練習を行っていた翔磨君。会場では、ストライダーの仲間と共に皆でスタート練習をして自分の番を待ちます。

2人が出場したのは、50m走。進太郎君の予選タイムは全体で2位。決勝前、お父さんは「進太朗より速い子がいるよ」とだけ伝え決勝へ送り出します。一方、翔磨君は、予選でスタートが遅れたものの出場した組で1位となり予選通過を果たします。

迎えた決勝戦。スタート直後は予選で進太朗君より速かった選手が前に出ましたが、進太郎君は最後の一歩まで走り続け、なんと優勝。また、翔磨君も懸命に走り、8.8秒という好タイムで3位に入賞しました。

ー■ランバイクでの経験を元に次のステップへ

進太朗君は現在、ランニングバイクの他に水泳、サッカー、陸上をおこなっているそうです。ご両親は将来的には野球をやってほしいという気持ちがあるようですが、今はまだまだ種目を絞らずに最終的に子どもが自分で種目を選択した時に困らないよう、運動能力を高めていきたいとのことです。

敦さんは『ランニングバイクと出会い、翔磨君や大勢の友達に出会えたことでたくさんの刺激をもらえました。家庭、幼稚園の狭いカテゴリーだけでなく、ランニングバイクを通して全国に友達ができ世界が広がりました。これが一番の財産です。』と語ります。

一方、翔磨君のお父さん、隆弘さんも息子の挑戦する姿をみて今後の願いを語ってくれました。「日々のランニングバイクの練習が走力の向上に繋がったのではないでしょうか。将来の夢は定まっていないようですが、色々な競技の経験をする機会を与える中でやりたい事を見つけて欲しいです。

そしてストライダーを通じて得た精神面の強さや努力を怠らないことを胸に色々なことに挑戦する気持ちを持ち続けて欲しいなと思います。』

進太郎君、翔磨君。ランニングバイクに乗ることで大きく世界を広げた2人の活躍が今後も楽しみである。

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ランニングバイク連盟 ランニングバイクとは/ペダルがついていない足で蹴って進む「ランニングバイク」および「バランスバイク」と呼ばれる小さな自転車のような玩具で、日本には、4年ほど前にアメリカから輸入されはじめ、この数年で、一気に大人気となった二輪車。『ランニングバイク連盟』は、そのランニングバイクの楽しさをたくさんの方に知ってもらい、子ども達が安心して走れる環境づくりに向けて活動を行う有志組織。 筆者の公式ブログはこちら

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