一走入魂!失意の中で村上義弘が3度目の日本選手権競輪制覇!
3月23日、名古屋競輪場で日本選手権競輪が行われ、2012年のKEIRINグランプリ覇者、村上義弘が大会連覇を達成し、自身3度目のダービー王に輝いた。2位には武田豊樹、3位には深谷知広が入り、日本選手権に相応しい面々が表彰台に上がった。
年間6戦あるG1の中で、最も歴史と権威のある大会「日本選手権競輪」。今年で67回目を迎える大会は、現在唯一6日制で行われる長期戦だ。開幕前日の17日。日本一をかけた選手たちが次々と会場入りを果たす中、例年とは違う、どこか重苦しい空気が漂った。
昨年末、長塚智広、武田豊樹、村上義弘ら、5名の選手が突如会見を開き選手会脱退を発表。東京五輪に向けて、より良い自転車競技環境を目指し、新団体「SS11(エス・エス・イレブン)」を立ち上げる決意を表明した。
しかし、その後自体は一変。選手会から除名処分勧告が出されると1月に撤回。選手たちは2月に謝罪会見を開き、新団体設立を断念することなった。そして、今月12日、競輪選手会から、一連の騒動を企図した選手達に対して制裁処分が言い渡された。内容は最大1年間に及ぶレースへの出場自粛処分。
処分は5月1日から適用されることとなり、対象選手たちにとって、今回の日本選手権競輪が休場前最後のG1レースとなった。そうした中、会場入りした選手たちは、処分について多くを語らず、目の前のレースに懸命に集中しようとしていた。
18日から始まった大会は、連日、選手たちの気迫のこもったレースが続いていく。そして、5日間に亘るトーナメントを勝ち抜き、決勝に残った9選手の中には、今回処分を受けた選手が6名も名を連ねた。
競輪界随一の人気を誇る2012年王者、村上義弘は、決勝前日の共同記者会見で「最後の日本選手権競輪になるかもしれない」と引退をほのめかずコメントを交えながら「ファンの皆さんに喜んでもらえるように力を出し切りしたい」と決勝への決意を語った。
そして「最高のレースを見せたい」という選手たちの思いは1つとなり、決勝では歴史に残る名勝負を演じられた。
レースは、村上義弘を筆頭に4選手で連携することとなった近畿勢が主導権を握ると、残り1周半から先頭の稲垣裕之が、全開でペダルを踏み込み先行体制へ。2番手に村上義弘、3番手には村上の弟博幸。そして4番手には稲川翔が続き、後続の攻撃を援護する構えだ。
1列棒状となった超高速バトルは、残り1周を迎えると、5番手にいた平原康多が武田豊樹を引き連れ捲りを仕掛ける。しかし3番手の村上博幸が牽制するとそのスピードは緩み、同時に平原の後ろから武田豊樹がペースアップし、前段に襲いかかる。
その動きを見た2番手の村上義弘は、稲垣を交わし先頭へ出るとレースはさらに加速。逃げ切りを狙う村上に襲いかかる武田。そして更に後ろからは、怪物深谷知広が一気に捲りを狙い、ゴールは混戦状態となった。
赤のユニフォーム、村上が逃げ切り優勝。2着武田(黒)、3着深谷(白)
大歓声の中、一着でゴールラインを駆け抜けたのは、村上義弘。「目をつぶってゴールした」という村上は、弟博幸からの言葉でようやく優勝したことを確信すると、博幸と肩を組みファンの声援に応えた。
表彰式では「これからどうなるか分かりませんけど、競輪を愛する心は変わりません」と涙ながらに語った村上に、名勝負を目に焼き付けたファンから多くの激励の言葉がかけられた。
2着の武田は「負けてこんなに清々しい気持ちになったのはじめて」と語るなど、鳴り止まないファンの歓声に選手たちも「やれることはやった」という充実感が生まれていたようだった。
レース後、選手出入口付近には大勢のファンが村上の出待ちをしていた。村上は、混乱を招かないように、一人ずつ敷地内に入れて笑顔で写真撮影などに対応していた。
「子供たちに夢を持ってもらえる舞台にしたい」という選手たちの願いの中から生まれた今回の一連の騒動。様々な議論があるにせよ、この騒動を機に問題を洗い出し、今後の発展に繋げていこうという議論はいまだ聞こえてこない。
果たして、選手たちの出場を自粛させることで、業界の発展になるのか。レース後に鳴り響くファンの声がその疑問を物語っていた。
【G1第67回日本選手権競輪 結果】
優勝 村上義弘(京都・39歳)
2着 武田豊樹(茨城・40歳)3/4車輪
3着 深谷知広(愛知・24歳)1/2車輪
4着 村上博幸(京都・34歳)
5着 稲川翔(大阪・29歳)
6着 成田和也(福島・35歳)
7着 内藤秀久(神奈川・32歳
8着 平原康多(埼玉・31歳)
9着 稲垣裕之(京都・36歳)