ツール・ド・熊野2011 ジロ出場のベテラン・バリアーニが優勝
5月26日から4日間の日程で開催された『ツール・ド・熊野』。日本最大級のステージレース『ツアー・オブ・ジャパン』が東日本大震災の影響で中止となり、国内UCIレースとしてはこれが初戦となった。世界遺産の地・熊野古道周辺の美しい風景が見所となるこのレースだが、今年は台風接近に伴う激しい風雨に終始たたられた大会となった。総合の結果は、ダンジェロ&アンティヌッティ・NIPPO(以下NIPPO)のエース、フォルッナート・バリアーニが、下馬評どおり力の違いを見せつけて優勝をさらった。一方、国内チームとして最も気を吐いたのは愛三工業レーシングチーム。第1ステージを同チームの新鋭福田真平が制すと、第3ステージでもエース西谷が優勝。総合3位とポイント賞ジャージを獲得した。
出場は海外5チーム、国内12チームの全93名。国内有力チームが一堂に顔を揃えるのは、今年初めてのこと。中でも注目は、イタリア登録でエントリーしたNIPPOであったろう。ジロ・デ・イタリア出場8度の経験をもつベテランエース、フォルッナート・バリアーニの存在は、やはり抜きん出ている。26日のプロローグ(700mの個人タイムトライアル)を経て、27日は赤木川清流沿いのコースを走る第1ステージが行われた。序盤からレースの主導権を握ったのはNIPPO。その圧倒的な支配力に為す術がないように見えた日本チームだったが、レース終盤になると愛三工業レーシングとシマノレーシングが満を持したかのようにアタックを繰り返し、ゴールスプリントに持ち込んだ。しかしゴールラインに一番最初に姿を現したのは、NIPPOのスプリンター、リケーゼ。ところが、ゴール手前でチェーントラブルが発生。その隙に前に出た愛三の福田真平がラッキーな優勝を手にした。28日の第2ステージは、国内最大規模の千枚田(棚田)を抜けて行く山岳コース。総合優勝争いにとって最も重要なステージとなるが、ここでもNIPPOが他チームを圧倒することとなった。この日一番の難所・札立峠で単独で飛び出したフォルッナート・バリアーニが、そのまま後続を力で振り切り逃げきり優勝。2位、3位の表彰台も独占したNIPPOは、やはりチーム力という点で頭ひとつ抜けている。
29日、最終第3ステージの舞台は、過去に何度も大逆転劇が繰り広げられてきた太地半島周回コース。この時点で日本人最高位は、トップから50秒差の3位につけている愛三工業レーシングの西谷泰治。だが、逆転をかけ意気上がる同チームへ、レース直前に思わぬ知らせが届いた。台風2号の接近に伴い、コースの変更がアナウンスされたのである。周回数が削減され、距離は100キロから60キロへと短縮された。自転車ロードレースにおいて、50秒差は決して僅かとは言えない。愛三のメンバーはこの時、逆転優勝の望みを潔く捨て、ステージ優勝狙いにシフトしたはずだ。レースは序盤、リーダージャージを擁するNIPPOがペースをコントロール。愛三もこれに敢えて挑むことはない。しかし終盤に入ると、愛三は列車を組んで集団をゴールスプリント・モードへと誘う。有利な位置をキープしたままゴールラインへと向かっていく愛三には、盛・西谷という必勝ラインがあるのだ。盛一大発射台から飛び出した西谷ロケットは、見事最終ステージのフィニッシュラインをトップで駆け抜け、ステージ優勝の狙いを遂げた。歓喜の雄叫びを上げつつチームメイトと抱き合った西谷は、「日本で行われる大会は日本人が勝たなければならない。海外選手にいいようにやられては駄目。何としても勝ちたかった」と総括した。NIPPOの圧倒的な力の前に為す術もなく敗れた第2ステージ。その悔しさが、最終ステージの優勝に繋がった。昨シーズン以降アジアツアーへの参戦により力を注ぐようになった愛三工業レーシングにとって、海外の強豪は決して「目標」ではない。現実に打ち破るべき「ライバル」なのだ。世界を視野に走る国内選手たちが、こうして海外選手相手に力勝負を挑む姿は、ファンに大きな希望を与えてくれる。こうした国際レースが日本でも数多く開催されることが待たれる。
<ツール・ド・熊野2011 総合成績>
1位 フォルトゥナート・バリアーニ(ダンジェロ&アンティヌッティ・NIPPO)
2位 ミゲール・ルビアーノ・チャベス(ダンジェロ&アンティヌッティ・NIPPO)+04秒
3位 西谷泰治(愛三工業レーシングチーム)+40秒
4位 マキシミリアーノ・リケーゼ(ダンジェロ&アンティヌッティ・NIPPO)+44秒
5位 品川真寛(愛三工業レーシングチーム)+57秒
動画:ツール・ド・熊野 2011