元全日本王者 ジロ完走の初山翔が引退を発表

Posted on: 2019.12.02

2016年全日本王者、世界三大ツールの1つ「ジロ・デ・イタリア」完走など、数々の実績を残したロードレーサー初山翔(はつやま しょう)が今シーズンをもって現役を引退することが所属のNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネから発表された。


photo:NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ

現在31歳の初山は、U23時代をイタリアのアマチュアチームで過ごし、その後国内コンチネンタルチームでプロデビュー。2016年には伊豆大島で開催された全日本選手権ロードレースを制し、全日本チャンピオンに輝いた。

そして、2018シーズンにイタリア籍のUCIプロコンチネンタルチームであるNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニに移籍し、再び活動の舞台をヨーロッパへと移した。

2018シーズンは、初出場となったイタリアの名門クラシック・ミラノ〜サンレモ(UCIワールドツアー)で250kmにわたる距離を逃げ続け、さらにその後のティレーノ〜アドリアティコ(UCIワールドツアー)でも逃げに乗るなど、世界のトップレースでも活躍をみせた。

今シーズンは、5月に世界三大ツールの一つ、ジロ・デ・イタリアへ出場すると、第3ステージでは単独で144kmに渡り逃げ、世界最高峰の舞台でイタリアだけでなく全世界から大きな注目を集めた。


photo:NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ

その後、チームの区間優勝にも貢献しながら、3週間の過酷なレースを走破。個人総合成績最下位での完走だったが、大会側からマリアネーラ(現在は非公式、かつて存在した最下位の選手に贈られる黒色のジャージ)を贈呈された。

欧州トップレースで健闘を続け、今後の活躍も期待されるなかでの現役引退となった初山。「幸せな競技人生だった」という気持ちのもと、新しいステップへと進んでいく。

◯初山翔のコメント
まずこのような時期まで皆様へのご報告が遅れたこと、大変申し訳なく思っております。来季の活動について皆様にお尋ねいただいたとき、うやむやな回答しかできずにとても心苦しかったです。ご容赦ください。

しかし急遽決めたことではなく、時間をかけながら考え、決断したことです。ですので、とても前向きな気持ちでこのタイミングを迎え入れることができました。

特にこの2年間は選手を目指したときからの目標であった欧州プロチームの一員として活動することができました。幸せな選手生活であったと心から思っております。

皆様のおかげです。到底ひとりではたどり着けない大舞台をいくつも経験させていただきました。今までご支援、ご声援いただいたすべての皆様に心から御礼申し上げます。また今後もサイクルスポーツは趣味として続けていければと思いますので、今後ともよろしくお願い致します。

<初山翔 略歴>
1988年8月17日生まれ(31歳)、神奈川県出身
U23時代をイタリアのアマチュアチームで過ごし、2011年に宇都宮ブリッツェンでプロデビュー。逃げや山岳を得意とするオールラウンダーで積極的な走りが持ち味。UCI通算3勝(UCIレース)

2011年 宇都宮ブリッツェン加入
2013年 ブリヂストンアンカー加入
ツール・ド・おきなわ優勝
2016年 全日本ロード 優勝
2017年 ツアー・オブ・ジャパン 山岳賞獲得
2018年 NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ヨーロッパオヴィーニ(イタリア、プロコンチネンタルチーム)加入

◯大門宏マネージャーのコメント
初山には「これからが人生の本場!これからも勇気を忘れず、覚悟して挑戦し続けろ」と言いたい。

近年では、宮澤崇史、福島晋一、橋川健(NIPPOの出身選手ではなかったが)、ならびに日本人選手の成長に多大な貢献をしてくれたイタリア人ら外国籍選手の引退を割と近くで見届けた。

初山も決して彼らに引けを取らないチャンピオンの1人。今後どのような道に進むにせよ、これからも自分の好きなことに没頭し続けて、人間としてさらに成長してほしい願っている。

人生においては、選手としての“引退”よりもっともっと価値のある“節目”があるからだ。

昔から世界のトップレベルで挑戦させたくてもさせられなかった選手が多くいるなかで、10代後半から日本代表として、またイタリアのクラブチームで過ごしていた初山を、最後の2年間、この“奇跡的なチーム環境”で走らせることができて、本当にラッキーだったと思っている。

ラッキーと言うのは単に運が良いと言うのは意味ではない。その真意は初山自身が誰よりも一番感じてるはずだ。

だからこそ、このレベルで走り続ける可能性をギリギリまで追い求めていたと思う。彼はプロのレースにおいてコミュニケーション能力も全く問題ないある意味“人気者”だったので、ステップアップの意味も込めてワールドチームを含む他のプロチームを本人と探したが、芳しい回答は得られなかった。

プロチーム以上で走る続けることはヨーロッパ人にとっても物凄く厳しい世界だ。

余談だが、今回ワールドチームの現役監督、代理人にも初山の件を相談した。口々に言われたことは、「フランスでもベルギーでも自国の選手を最優先に選手を集める。日本人なら日本人選手に関心を持つNIPPOのような日本のスポンサーが現れない限り、たとえ実力があったとしてもヨーロッパのチームが契約する理由がない」だった。

フランスのワールドチーム、プロチームの選手も約半数はまずフランス人だからと言う理由で契約できており、選手自身だって解ってる。それはフランスのスポンサーにとっても当然のこと。

そう言う“当たり前の事情”は、もう20年以上現地で聞き飽きているが、改めて日本のスポンサーの存在意義を痛感させられた。ヨーロッパのロードレース界を支えているスポンサーのように、企業の威信を掛けて本気で(10代後半からの育成を含めて)ワールドクラスで活躍する日本人選手に関心を抱くパトロンが日本にも求められている。

チーム、選手側から“探す”と言うレベルではなく、かつて浅田監督(エキップアサダ)に惚れ込んで、スポンサーを自ら名乗り出た梅丹本舗の松本氏のように積極的に手を挙げる日本のスポンサーが現れない限り、今後このカテゴリーで日本人選手の発掘、強化に携わっていくのは無理だと断言したい。

それは、決して我々(NIPPO)のサブスポンサー、または取って代わるスポンサーを求めてる、と言う意味ではなく、ヨーロッパの知人からの助言にもあるように“自国”のスポンサーが、世界中のレースを舞台に色々なチームに分散し、若手からベテランまで、それぞれのカラーで切磋琢磨できる環境が構築されていくことが理想だ。

記事・写真提供:NIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネ

NEW ENTRY