ツール・ド・フランス2011 現地便り 最終回 寺尾真紀

Posted on: 2011.08.08

ゴール地周辺の渋滞を避けるため、ステージが終了するとほぼ同時にチームバスはモンペリエを離れ始めた。ずいぶん長いことカヴェンディッシュ、リゴベルト・ウランを待っていたHTC、スカイのバスも途中であわてて作戦を変更し、チームカーを1台残して出発していく。しかしヴァカンスシーズンの週末、ドローム地方に向かう高速は途中から1cmも進まないような大渋滞。2回目の休息日を待ち望む選手たちにとっては、ホテルまで遠い遠い道のりとなった。
モナコから数時間、ということでニースやモナコに在住する選手たちの家族が合流。翌日のプレス会見でも会場脇から見守る家族たちの姿があちらこちらに見られた。
娘の一人を肩に乗せ、もうひとりの娘を右足、息子を左足にぶら下げた状態のオグレディがチームの雰囲気をこう説明してくれた。
「泣いても笑ってもあと1週間。全く緊張していないと言ったら嘘になるけれど、今日はアンディもフランクもリラックスできていると思うよ。家族が来てくれているから、なおさらね」
家族が訪問していても休息日のルーティンが大きく変わることはない。プレス会見の後、30分ほどゆっくりしたあとは練習走行に出発。またリラックスできるのは午後になってからだ。

ローヌ地方南部特有の風景、ブドウ畑やオリーブ林の真上で太陽が輝いていた前日とは打って変わり、第16ステージの朝は激しい雨。出発する前にはひときわ大きな落雷があり、大地を震わせた。ただ、選手たちが出走するころにはその雨もあがり、だんだん乾いてきた石畳の水たまりも数えるほど。事前に予測できたように、文字通りプロトンの半分以上が飛び出すチャンスを狙う序盤となり、70kmを過ぎてルートが僅かに登りだすまでの平均時速は55km/hのハイペースとなった。レースのちょうど半分、82km地点で形成された逃げ集団にロハス、ボアッソン・ハーゲン、フースホフトがブリッジした後もプロトンは追跡をやめなかったが、さすがに100kmを越えてスピードを緩める。マンス峠の登りを越えた時点で勝負はボアッソンハーゲン、フースホフト、同じガーミン・サーヴェロのライダー・ヘシェダルに勝負は絞られた。
序盤からタイムを失い、前年並みの成績(総合7位)を諦めなくてはならなかったヘシェダルがここで勝利を決めることができたらそれは大きな喜びになっただろう。
「ただ、スピードでも体力でも2人には敵いようがなかった。トルをアシストするほうが、理に適っていた」
ゴール前スプリントでフースホフトに及ばず勝利を逃したボアッソン・ハーゲンは、悔しい気持ちは胸におさめ、淡々とレース終盤を思い返した。
「もうちょっと早くスプリントを始めていたらチャンスがあったかもしれない・・・・・・いや、あそこでそれだけの力が残っていたかどうか分からないな」

フースホフトは熱狂的な観客と特大のノルウェー国旗、そしていつまでも続く名前のコールに弾けるような笑顔になり、いつまでも手を振り続けた。なんだか今年はノルウェーの旗が少ない気がする、と前週は気にしていたが、実際にはそんなことはない。この日もコース上は赤地に青のノルディック・クロスを掲げたファンやキャンピングカーでいっぱいだった。
その4分後ろでは、これまで手堅くレースを続けてきたシュレク兄弟のディフェンスが崩されようとしていた。マンス峠に入ってから再三のアタックを仕掛けるコンタドールにエヴァンス、S・サンチェスは反応したものの、下りでアンディが大きく遅れてしまったのである。
「・・・・・・確かにずいぶん恐る恐るのように見えたね」
総合優勝候補の中でトップを走るエヴァンスに対して1日で1分9秒を失ったアンディの下りについて、BMCのオショウィッツ監督はそう評した。
唇を結び、マンス峠の下りの危険さ、主催者のコース設定について批判する兄の横で、アンディは淡々と取材陣の質問に答えた。
「21日間で1日だけ『悪い日』があるとしたら今日。がっかりはしているけれど、ツールはここで終わるわけじゃない」
ちなみにこの日の下りの感想を聞かれたボアッソン・ハーゲンは、ちょっとびっくりしたように聞き返した。
「危険?」
確かにテクニカルな下りではあったけれど、コースの下見をしたことがあったため、それほどの危険は感じなかった、とのことだった。

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Photo by Yuzuru SUNADA

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