ツール・ド・フランス2011 現地便り 最終回 寺尾真紀

Posted on: 2011.08.08

翌日の第18ステージは、ツールのアルプス通過100周年という記念すべきステージ。スタートから100kmステディに登り続け、アネル峠の頂上に到達すると、次はさらに厳しいイゾアール峠が待っている。最後のガリビエ峠に至る登りも、ラスト7kmに至るまではじわじわとした4.9%の登り、最後の7kmからその勾配が跳ね上がる。
いつもどこかにひ弱な印象があったアンディ・シュレクが、ガッツあふれるロング・アタックに出るとは誰が想像しただろう。アルプス決戦と口にはしながら、お互いをけん制し合い、最終局面まで力をセーブするレースが展開するのではないかという予想が大勢を占めていた。
「僕らはプランを立てるのが大好きだし、予想を裏切るのも大好きなんだ」
珍しく上機嫌になったフランクの言葉通り、レオパード・トレックの『仲間』が立案・決行した大アタックは大成功に終わった。
「良くある形だね。CSCでもサクソバンクでもやってみたことがある。でも、このステージで実行する、というのがポイントだった」
フォイクトが説明するのは、アシストを2人先行させ、エースがそこにブリッジする、という形のことである。
「先行する2人の責任は大きいよ! その後山岳でアンディを助けられるように、マキシム(・モンフォール)はなるべく力を温存しなくてはならない。同時に逃げを成功させて無事第1山岳を越えるペース作りはヨーナス(・ポストゥーマ)にかかってくる訳だから」
「アンディのアタックを、誰も追いかけてこなかったのは運が良かった。風もものすごく強かったから、こんなに長距離の単独アタックが成功するはずないと思ったのかもしれない」
アンディ、フランク、オグレディが部屋に集まっていたときに思いついた話だったという。その後、夕食時などに他の選手も交えて相談し、アンディが実行したいという意思を伝えたのが前日、逃げに乗る2人が決まったのは朝のバスの中だった。ポストゥーマが言う。
「気心が知れていて、会話の多いこのチームだからこそ可能だった計画だと思うな」
ゴール後、チームメートたちはアルプス越えの疲れも吹き飛んでしまったような笑顔でお互いの肩を叩き合った。
常に楽観的な言葉を繰り返してきたコンタドールとリース監督も、終盤にペースを上げたエヴァンス・グループから振り落とされたこの日のレースをもって、ついに総合優勝の夢を叶える道はない、と認めるほかない状況になった。

緩やかにカーブしながら徐々に高度を上げていくロータレ峠の途中でプロトンを待っていたわたしは、ラジオ・ツール(無線情報)が唯一の情報源だった。風は強く、逆の方向に顔を向けなければ、時には呼吸もできないほど。アンディ・シュレクがゴールまで60kmの地点でアタックをかけた、という情報が流れたときも、この強風の中、一人でブリッジを試みる彼の姿を想像し、そのうち「集団はまたひとつになった」という無線を聞くのだろうと思っていた。しかし予想とは反対に、集団とアンディとの時間差は、コールされるたびにどんどん広がっていく。そのとき、きっと『この日』がそうなのだ、という思いが急に胸に湧いてきた。これからアンディ・シュレクの名前を聞くたびに、わたしは必ずこのレースを思い出すだろう。彼について考えるとき、何かのものさしとして思い返すのはこのレースのことになるのだ。

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Photo by Yuzuru SUNADA

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