ブエルタ・ア・エスパーニャ2010 熱戦を振り返る
8月28日~9月19日までスペイン全土で開催された、ブエルタ・ア・エスパーニャ。ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスと並ぶ世界3大ツールだが、今年65回目で一番歴史が浅く、他の2つに比べ少し地味なレースではある。だが今年の大会は、トップ選手がめまぐるしく変わる最後まで目が離せない熱戦だった。
総合トップのリーダージャージといえば、ツール・ド・フランスの“マイヨ・ジョーヌ”が有名だが、ブエルタのそれは“マイヨ・オロ”。黄金のジャージという意味だ。開幕前の一番の話題は、そのブエルタ伝統のリーダージャージが今年、黄金から赤へと変わったこと。名前も赤のジャージを意味する“マイヨ・ロホ”に改められた(編集部注:このあたりの経緯は、宮本あさか「野性的で大雑把で、茫洋としたブエルタとスペインの大地」を参照)。初日のチームタイムトライアルで勝利したチームHTCコロンビアのマーク・カヴェンディッシュが史上初めて、この赤ジャージに袖を通すこととなった。
その後、マイヨ・ロホは第3ステージの中級山岳最後の上りで単独アタックをかけたフィリップ・ジルベール(オメガファーマ・ロット)に移る。平坦ステージでは、ジルベールがトップを守り続けたものの、本格山岳となった第8ステージでタイムを落とし、リーダージャージはイゴール・アントン(エウスカルテル)のものとなった。アントンは、山岳を得意とする27歳。バスク地方の期待の星で、すでに第4ステージで区間優勝を果たしていた。2位には、同タイムでホアキン・ロドリゲス(カチューシャ)がつけている。第10ステージで、ロドリゲスが中間スプリントを3位通過し、ボーナスポイントを稼いで総合トップに立った。しかし、翌日アントンが得意の山岳で独走しステージ優勝。ロドリゲスを引き離し、総合2位のヴィンチェンツォ・ニバリ(リクイガス)に45秒差をつけて単独トップとなった。
(続く)