砂田弓弦「新城の出現は必然なのか、偶然なのか」

Posted on: 2010.10.18

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 自転車競技を報道する者は、まずは歴史を勉強しなくてはいけないと思っています。ヨーロッパの自転車競技にはおよそ100年の歴史がありますが、今、目の前で起きているこの2010年の事象を、長い歴史の中のひとコマとしてとらえられる人が、この世界でやって行くことができる条件だと思うのです。
自転車の歴史を学ぶということは、決して簡単なことではありません。それは環境にも大きく左右されるからです。
僕はイタリアのミラノ郊外のレズモに仕事の拠点をもっていますが、そこはエディ・メルクスが走っていたモルテーニというチームの拠点のあったところから1kmくらいのところです。
階下に住んでいる老人の一人は決して自転車ファンというわけではないのですが、それでも昔はこのあたりで多くのサーキットレース(未公認のクリテリム)が開かれ、もちろんメルクスも走ったことを教えてくれました。
近所の別の老人も、あのファウスト・コッピが勝った1953年のスイス・ルガーノ大会を見に行ったと聞かされました。ジロやツールに勝ったけれど、なかなか勝てなかった世界選。そう、あの伝説のレースです。
小さい頃、浦島太郎だとか、さるかに合戦といった童話を祖父の腕枕の中で聞きましたが、自転車の昔話を老人たちから聞くことができるーー。僕が住んでいるところは、こんなところです。
そして僕が歴史を学んだ極めつけは、『イタリアの自転車工房・栄光のストーリー』という本を90年代の前半に出したことです。フレーム屋のおやじたちの話の半分は自分の作る自転車のことなのですが、実際のところ、残り半分は自転車競技の話なのです。そうした人たちと対等に話をするには、まずは歴代の選手や当時の自転車など、自転車競技の歴史を頭に入れておかなければなりません。

DE ROSA Ugo (ITA)  Photo : Yuzuru SUNADA

 僕は1985年に初めてイタリアにやってきました。だからそれ以降のこと、たとえば1990年のことを聞かれれば、すぐにブーニョやレモン、フィニョンらのことが、当時まだ町中を走り回っていた有鉛ガソリン仕様のフィアット126の排気ガスのにおいやエンジン音などと共によみがえってくるのです。
それ以前のこととなれば、本を書くにあたって大量に買い込んだビデオと書籍、そして近所の親父たちやフレーム屋の職人、大会関係者との話で頭の中に出来上がった自転車年表がぐるぐると回転しだします(最近、この回転速度と精度がすっかりダウンしましたが)。

デローザに行ったときのことです。ウーゴ(写真)は「メルクスがジモンディとのトラックのエキシビジョンレースで、“出来レース”を持ちかけられたときに、ジモンディだけには負けられないと断ったけども、自転車のトラブルが起きちゃって・・・」という貴重な思い出話をしてくれました。
それは、昔の話を僕ができるだけの知識を持ち合わせているとウーゴに分かったときに始まったのです。話し相手として認められたわけです。
おかげで、そのあとからデローザに行くと、ウーゴはみんなに下手なことは言うなよという警戒を込めて「おい、危ないやつが来たぞ」と言われるようになりました。
ボテッキアの先代の社長カルニエッリのオフィスにいったときには、壁にあった写真を見せてくれました。フーンブド・ボテッキアチームのタイムトライアルの写真を見て、僕が「これは当時のジロの最高速度を作ったときのものですね」と言ったら、目を丸くして驚き、その後は至って饒舌になったことが今でも忘れられません。

僕は日本でチクリッシモという雑誌を主宰しています。日本人スタッフに関して言うと、文章力と語学力、さらに社会常識に富む非常に優秀な人材で構成されており、それは僕の自慢でもあるのですが、やはり各自の周りに歴史を学べる環境がない、あるいはそれを伝えてくれる人が近くにいないという点では危惧しています。
そして、歴史はコッピやメルクスみたいな大人物だけを対象にしている訳ではありません。もっと身近なことも立派な歴史です。

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 僕は2000年代の前半、テレビに出演して「偶発的にでも良いから、日本から優れた選手が出てきてほしい」と言いました。
そのあと、インターネットで「日本でも一生懸命やっている人がいるのに、偶発的とは失礼な発言だ」と書かれているのを見て失望と怒りを感じました(まだ自分がインターネットに慣れていなかったため、熱くなってしまったこともありますが)。
(じゃあ外国の選手は一生懸命やっていないとでも言うのだろうか。この人は日本と海外の強化体制を見てもいないのに、一生懸命やれば選手が出てくると信じているのだろうか? まったく無責任な書き込みだ)と思いました。
今、アメリカから次々と良い選手が出てきますが、1980年代にイタリアにアマ選手たちを送り込んで修行させていたことが脳裏によみがえってきます。90年代になると旧ソビエトがイタリアのアマチームに選手を送り込み、レースを荒らしまくりました。現在はオーストラリアがイタリアをベースにすばらしい強化体制を整えています。
こうした記憶も、一つの歴史観なのです。

今、新城幸也という威勢のいい選手が出てきました。梅丹本舗で彼はずいぶん鍛えられたはずです。シマノやニッポなど国内の有力チームも海外に選手を送り込み、それなりの成果を上げてはいます。
しかし、国挙げての強化、あるいは周囲の理解といったパワーがえられないためか、世界の自転車界の進歩と比較すると、国内の選手の育成のスピードはあまりに緩やかなものです。高校生や大学生の追い抜き競技のタイムが、20~30年間もの長い間、フリーズ状態なのはその明確な証拠です。
新城に続く選手がこのあと次々と出てくれば、本場のジャーナリストはそれぞれの歴史観と照らし合わせて日本の飛躍を検証しはじめるはずです。もちろん、僕はそれを誰よりも強く期待しています。

END

砂田弓弦(すなだ・ゆづる)/1961年富山市生まれ。法政大学卒業後、イタリアに渡り、フォトグラファーとなる。現在は日本とイタリアの間を頻繁に行き来しており、ミラノにオフィスを構えて、自転車競技を中心に撮影をしている。その作品はイタリア、フランス、イギリス、アメリカ、オーストラリア、日本をはじめとする多くの国のメディアに掲載されているほか、内外の広告の分野でも定評を得ている。
http://www.yuzurusunada.com

AUTHOR PROFILE

砂田弓弦 すなだ・ゆづる/1961年富山市生まれ。法政大学卒業後、イタリアに渡り、フォトグラファーとなる。現在は日本とイタリアの間を頻繁に行き来しており、ミラノにオフィスを構えて、自転車競技を中心に撮影をしている。その作品はイタリア、フランス、イギリス、アメリカ、オーストラリア、日本をはじめとする多くの国のメディアに掲載されているほか、内外の広告の分野でも定評を得ている。

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