栗村修「スポーツ観戦の本質」

Posted on: 2018.03.10

私自身、日々、自転車ロードレースに関連した仕事と向き合っているわけですが、そのなかでもメディア関係の仕事に取り組んでいる時に、ふと「スポーツ観戦の本質とは」という要素について考えさせられる瞬間があります。

どういうことかというと、自分も含めた多くの人たちが、「スポーツを観戦する」ということに対して、自らのお金や時間を惜しみなく費やしているその理由というものを、深く考察したくなったりするのです。

もちろん、人によってその理由は異なるでしょうし、また、楽しみ方(実際にスタジアムなどへ行って贔屓のチームや選手を応援する/テレビやネットなどを駆使しながら自分の生活の一部に取り込んでスポーツを楽しむなどなど)も千差万別でしょう。

しかし、その根底に流れている「共通の理由」というものは必ずあるはずです。

思うに、スポーツを観戦したくなる代表的な「共通の理由」というのは、「愛」と「現実逃避」の二つだと、私自身、勝手に分析して解釈している次第です。

「愛」といのは、贔屓のチームや選手を応援するという、スポーツ観戦のド定番の理由ではありまずが、一方で、負けが続いたりすると、その「愛」が「怒り」や「悲しみ」といったネガティブな感情に変化することもあります。

但し、人間の精神構造上、ネガティブな感情であっても、喜怒哀楽が大きく揺さぶられる状況に置かれるということは、根底にある「愛(モチベーション)」の大きさは相対的に増していくように思います。これが「スポーツ愛」が生み出す一種の中毒症状(良い意味での)といえるのでしょう。

一方、現実逃避(もしくは非日常の世界)という要素も、スポーツを観たくなる理由としては小さくない存在だと感じています。

「自分にはとてもできないこと」や「自分の生活の中には存在していない空間」などへの憧れとリーチは、マンネリ化している日常からの逃避行動となり、結果、自分の生活の中に一種の切り替え作用が生まれて、日常生活にもプラスの効果を生み出すように思います。

もちろん、他にももっとたくさんの理由が存在しているでしょうが、こういったことを考えながら「スポーツ観戦」というものに触れていると、スポーツのまた違った側面がみえてきて面白かったりします。

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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