佐藤一朗「戦えるパワーを手に入れるための難しさ。」

Posted on: 2015.05.01

前回に続きトレーニング理論の各論です。
 
気がつけば本来書かなくてはならないトレーニング理論の執筆の手は止まり、FBの方ばかり更新してしまって大丈夫なのだろうか。。。。という不安もありますが、そこは「マーケットリサーチ?」。読んでいる人がどんな事に興味を持っているかを調べなきゃ!? と自分に言い訳しつつ書いています。
 
◆持久力アップの為のトレーニング
さて今回のテーマですが、直接的なトレーニングの話から逸脱してしまいますが、知っているととても役に立つ情報なので是非読んでみてください。自転車で持久力というと「長く走り続けられる力」と言うことになるのですが、競技というレベルになるとここに「速く」という形容詞がつきます。

これが問題です。自転車で速く走る為には走行抵抗と戦わなくてはなりません。特にスピードの二乗に比例して増えてくる空気抵抗の力は強大です。そのため速く走るためにはどうしてもパワー(トルク×ケイデンス)が必要になります。
 
この先話を進めるためには筋肉を動かすエネルギーの事を話さなくてはなりません。少し難しくなりますがなるべく解りやすく話したいと思いますので頑張って読んでみてください。
 
筋肉には大きく分けて2種類の筋線維があります。1つは収縮力は大きいけれど持久力が無い”速筋”。そしてもう1つは収縮力は小さいけれど持久力のある”遅筋”。それぞれの筋線維が混在して筋肉の形を作っていますが、動くときのエネルギーはそれぞれ別々の形でエネルギーを作って動いています。
 
食事をする事で得られた栄養素の中でエネルギーになりやすいのは糖質(炭水化物)と脂質です。糖質と脂質は消化されることで細かく砕かれ筋肉を動かすエネルギーの素になります。

速筋線維のエネルギーになるのは糖質を分解した「グルコース」です。このグルコースをさらに酵素で分解する事でエネルギーを取り出し速筋は動きます。

一方、遅筋線維のエネルギーになるのは、先ほど速筋線維のところでグルコースを分解する時に作り出された「ピルビン酸/乳酸」や、脂質を分解したものを酸素を使って酸化(燃やすようなこと)する事で作られます。
 
ちょっと解りにくいですね。すみません。簡単にまとめると下記のようになります。
  
・食事によって得られた栄養の中から糖質を分解してグルコースを取り出す。
 ↓
・グルコースを分解した時に出るエネルギー(ATP)を使って速筋を動かす。
 ↓
・グルコースを分解して出来たピルビン酸/乳酸を酸化させて作ったエネルギー(ATP)を使って遅筋を動かす。
 ↓
・ピルビン酸/乳酸を酸化させることで出た水分/二酸化炭素を排出。
 
糖質をエネルギーにする事だけを考えると、2つの筋線維は食べたもの(糖質)を上手なサイクルで利用して使っていると言うことですね。
   
さて、簡単な生理学の説明が終わったところで話を戻しましょう。
 
先ほどもお話ししたように競技で通用するレベルの持久力となると、その前提にはある程度のスピードを出せるパワーや、登坂力を得られるパワーを使い続ける事が出来る持久力と言うことになります。当然、それらのパワー(トルク×ケイデンス)を実現するためには、1歩あたりのトルクを高める事は避けて通れません。
 
トルクを高める為には速筋線維を強化して太くする必要があります。仮にそれが出来たとすると次はエネルギーの供給です。太くした筋肉を動かす為には多くのエネルギーが必要です。速筋線維はグルコースを分解してエネルギーを作り、その結果ピルビン酸/乳酸も今まで以上に作られることになります。

問題はここからです。実はトルクを大きくする為に働く速筋線維は”酸性”に傾くとエネルギーの供給が滞り、途端に出力は低下してしまいます。
 
速筋線維がエネルギーを作るために分解した沢山のピルビン酸/乳酸は遅筋線維でエネルギーの素として使われますが、分解する量と酸化できる量のバランスがとても重要になって来ます。

一定以上のスピードを持続したり、登坂でアタックする為にトルクを上げた場合(速筋を沢山働かせる)、ピルビン酸/乳酸を遅筋で処理(酸化)する能力が低いと筋肉は酸性に傾いてしまい、パワーは急速に低下してしまうのです。つまり競技に於いて持久力を高めると言うことは、速筋を十分に働かせても出力を低下させないだけの遅筋の処理能力を高めると言うことなのです。
 
難しい話が続いたので、ここまでしっかり読んでくださった方にご褒美?パワーメーターを使ったトレーニングを効果的に行う為のアドバイスをお話ししましょう。

パワーメーターを使ったトレーニングを行う際、殆どの人がFTP(Function Threshold Power)を測定していると思います。このFTPを簡単に説明すると「筋肉が疲労せず動き続けられる持続可能な最大パワー」と言ったところでしょうか?低い出力の場合先ほどの速筋と遅筋のエネルギーバランスは遅筋の持久系が優位な状態で推移しますから安易に持続することが出来ます。

しかし出力を高めて行くと、このエネルギーバランスが崩れ筋肉は徐々に酸性へと傾いてきます。そしてある一定の出力レベルを超えるとエネルギーバランスは完全に速筋のトルク系が優位になり筋肉は短時間で酸性へと傾いていきます。そうなると速筋線維の出力は低下し、ペダリングの出力も持続できなくなってしまいます。つまりこのエネルギーバランスが崩れるところがFTP値と言うことですね。
  
パワーメーターを使ったトレーニングでは、FTP値から計算した数値を基にトレーニングプログラムを組んでいると思いますが、このトレーニングの目的は持続可能な最大出力を理解し、それに近い出力を一定の割合(時間等)行う事で、持久力アップの為に最も大切な酸素の供給能力を高めることにあります。
 
トレーニングとは身体に対して刺激を与えることで変化を促すことです。持続的に酸素を大量に消費する状態を作り出す事で体内の酸素は不足します。それは「もっと酸素を供給するための変化を促す刺激」を身体に与える事になります。

もちろんその刺激は弱いより強い方が効果的ですし、少ないよりは多い方が効果的です。つまりパワーメーターは自分の身体にとって最大限の刺激を与えるための目安を、トレーニングをしながらリアルタイムに教えてくれる機材だと言うことです。
 
そしてもう1つヒントです。大きなトルクを発揮する為に必要な速筋線維を強化することは一時的にエネルギーバランスを崩す事になりますが、そのトルクを使いこなせるだけの酸素供給能力が身についたとき、レースで戦えるパワーが手に入ると言うことです。

ただ長い距離サイクリングで楽しみたいのであれば、難しく考える必要はありません。しかしレースのための持久力を手にしたいのであれば、乗り込むだけでなくトルクアップの為のトレーニングも並行することで、戦える持久力を手にすることが出来ます。
  
最後に少し余談です。
「戦えるパワーを手に入れるための難しさ。」
  
先日の全日本選手権で1人の選手が4km個人パーシュートで日本記録更新を目指して果敢にアタックしました。中盤までは記録更新が確実な驚異的なラップを刻んでいましたが、後半急速に失速し記録更新はなりませんでした。

取材として現地入りしていた僕はメディア関係の方に「全日本選手権なのだから、日本を代表する選手としてもっとしっかり走れないのか」と言うニュアンスの質問を受けました。

もちろん本来の力を持ってすればもう少し良い走りが出来たと思います。しかし世界を知り、本気でメダルを目指すからこそもっとパワーを上げなければならないという現実に彼は直面してしまったのです。

その為にはトルクと持久力のバランスを崩してでも筋力を上げる必要があります。後半の失速は明らかに持久力、つまり酸素の供給能力が追いついていない事を表しています。目の前の結果を求めるよりも、大きな目標の為に身体を作り直す事が選手としてどれだけ勇気の要ることか僕は知っています。そんな勇気あるチャレンジをした彼を僕はコーチの1人として誇りに思います。

AUTHOR PROFILE

佐藤一朗 さとう・いちろう/自転車競技のトレーニング指導・コンディショニングを行うTrainer’s House代表。運動生理学・バイオメカニクスをベースにしたトレーニング理論の構築を行うと同時にトレーニングの標準化を目指す。これまでの研究の成果を基に日本代表ジュニアトラックチームを始め数々の高校・大学チームでの指導経験を持ち、現在はトレーニング理論の普及にも力を注いでいる。中央大学卒/日本競輪学校63期/元日本代表ジュニアトラックヘッドコーチ                                       ▶筆者の運営するトレーニング情報発信ブログ    ▶筆者の運営するオンラインセミナーの情報

佐藤一朗の新着コラム

NEW ENTRY