栗村修「Jプロツアーに見る、複雑化したレースへの対応」

Posted on: 2014.09.24

昨日、広島県中央森林公園に於いて50年近い歴史を誇る実業団レースの最高峰『JBCF経済産業大臣旗ロードチャンピオンシップ』が開催され、序盤から逃げ続けたブリヂストン・アンカーの内間選手が最後まで逃げ切り、見事、2014年の『JBCFロードチャンピオン』のタイトルを獲得しました。

宇都宮ブリッツェン勢は、シーズン後半戦に入ったこともあり、昨年のシリーズチャンピオンであるTeam UKYO勢との年間ランキング争いも意識する展開となり、ある意味でレースを複雑化させている“二重の争い”とのバランスに苦しむ展開となったようです。


photo(C):Tatsuya.Sakamoto/STUDIO NOUTIS

1位 内間康平 (ブリヂストンアンカー) 4h04m44s 39.2km/h
2位 入部正太朗 (シマノレーシング) st
3位 畑中勇介 (シマノレーシング) +15s
4位 エドワード・プラデス (マトリックスパワータグ) +15s
5位 トマ・ルバ (ブリヂストンアンカー) +16s
6位 リカルド・ガルシア (Team UKYO) +16s
7位 増田成幸 (宇都宮ブリッツェン) +17s
8位 ホセヴィセンテ・トリビオ (Team UKYO) +18s
9位 サルバドール・グアルディオラ (Team UKYO) +18s
10位 安原大貴 (マトリックスパワータグ) +20s

通常、ステージレースであれば、“総合を争う”レースと、“ステージ優勝”を争うレースの二つの戦いが同時進行しても違和感は感じません。しかし、ワンデーレースの集合体である年間シリーズ戦でこの “二重の戦い” が繰り広げられると時にレースが膠着し、わかりにくい展開が生まれることが少なくありません。

現場のチーム&選手たちにとってランキング制度というのは世界的にもあまり歓迎されておらず、ロードレースの醍醐味を削ってしまうとの声が多々聞かれます。

一方、一般のファン、メディア、スポンサーなどにとっては、年間ランキングというのは応援や評価するための指標として非常に大きな存在であり、現場のチームや選手たちは気付けていないようですがかなりの経済効果を生み出しています。

例えば、野球やサッカーなどのリーグ戦からランキングが消え、1試合、1試合が独立したカタチで漠然と開催されたら、プロスポーツとして成り立つのでしょうか?

もちろん、世界のロードレースのようにレースそのものに価値があれば、1レース完結型でもビジネスモデルは構築できますが、国内レース、ましてや現代の実業団レースの1レースそのものには殆ど経済的価値はないと言っても過言ではなく、“集合体=シリーズ戦” として売りださなければ “商品価値”は、ほぼゼロとなってしまいます。

これらは、例えば、大手メディア、代理店、スポンサー企業などと話した際、『1つのレースだけでは殆ど価値がないですし売りようがないです。何故、ロードレース界はまとまって価値を向上させていかないのですか?』と、何度も質問されてきました。

現場(チーム監督や選手、自転車メディア)というのは時に、“強い者は誰か?” という非常に近視眼的な視点のみに囚われてしまうことがあります。もしそれだけを決めたいならば近くの峠でガチンコでモガキ合いをしていれば良いし、毎回タイムトライアルを開催すれば “脚の違い”はバッチリ計れるでしょう。

しかし一方で、順位を意識しすぎたレースというのはお客さん的にも見応えがなく、本場のプロレースでもよく見受けられる “つまらないレース” に陥ってしまうリスクがあります。

これらの相反する要素を改善していくためには、ある程度 “ルール” で対応していく必要があるでしょう。

スポンサーを獲得しているチームにとってランキングポイントが大きな存在にとなってしまうことは必然であり、これらを否定することは上記に書いたように彼らの経済的価値を奪い取ることにも繋がります。(黙ってても年間の運営費が確保できる “企業型チーム” にはこの辺りの感覚はあまりわからないかもしれませんが…)

そうであれば、例えばレースの中間地点(途中の周回通過時や上りの頂上付近など)に年間ランキングのポイントを設定すれば、嫌でも激しい展開となっていくでしょう。

これらは以前から提案し続けているのですが、技術的な問題なのか、JBCFでは一向に採用してもらえていません。この辺りのバランスというか、理想と現実の両面を理解できている人の数が決して多くないのが問題を複雑化させているのだと思います。

AUTHOR PROFILE

栗村 修 くりむら・おさむ/1971年横浜市出身。15歳から本格的にロードレースをはじめ、高校を中退し単身フランス自転車留学。帰国後シマノレーシングで契約選手となり、1998年ポーランドのプロチーム「ムロズ」と契約。2000年よりミヤタ・スバルレーシングで活躍した後、2002年より同チームで監督としてチームを率いた。2008-09年はシマノレーシングでスポーツディレクター。2010年より宇都宮ブリッツェンにて監督。2014シーズンからは、宇都宮ブリッツェンのテクニカルアドバイザーを務めた。現在は、一般財団法人日本自転車普及協会 主幹調査役につき、ツアー・オブ・ジャパン大会副ディレクターとしてレース運営の仕事に就いている。JSPORTSのロードレース解説をはじめ、競技の普及および日本人選手活躍にむけた活動も積極的に行なう。 筆者の公式ブログはこちら

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